『銀河食堂の夜』

さだまさしが初めての小説『精霊流し』を書いたとき、所詮は音楽活動の傍らの余芸に過ぎないだろう、なんて思いつつ読み、その完成度に驚いたことを思い出す。その後、『解夏』『眉山』『アントキノイノチ』と次々に小説を出版し、いずれも映画化され、いまやその小説における才覚に疑いを挟む人はいないだろう。

で、最新作の『銀河食堂の夜』が出た。京成線沿線、葛飾区の京成四ツ木駅にほど近い四ツ木銀座にある小さな飲み屋が舞台だが、もうこの設定だけで実に絶妙。店の名前は「銀河食堂」で、酒は旨く、肴も絶品、亭主は「苦み走った好い男で、インテリぶらないインテリ」。「八千草薫とまでは言わないけれど小奇麗で小柄な女の人」が作るおそうざいも美味しい、という言うことなしのお店。そこに、小学校から皆一緒というような地元の常連たちが集う。その常連たちが落語の八っつぁん熊さんのような軽妙かつとんちんかんな会話を繰り広げつつ、物語が進むのだ。

となると軽妙な楽しい話=噺が展開されるのかと思いきや、実は繰り広げられる噺はかなり重い。ヤクザに乱暴され、引き裂かれる男女、運がない人生を歩んで貧困にあえぎ、年老いた母に手をかけた男、夫を交通事故で失った女性と加害者の若い男、東京帝大医学部に進み、将来を嘱望されながら特攻隊として散った兄の思い出を抱えつつ、年老いて認知症になりつつある妹……。

本作について、落語家の立川談四楼さんは、「滑稽噺かと思ったら人情噺だった」と言っていたが、まさにそう。人情噺は、人の死がからむある種の重さがあり、泣かせるものだが、多くの落語家は、これを力を込めて熱く大熱演する。ところがさだまさしはこの人情噺を軽妙に演じてしまう。談四楼さんは、その力の抜け具合に、落語家として嫉妬すら覚える、というのである。

これらの人の命や人生が関わる重い話が、幼なじみの地元の常連たちの軽妙なやり取りを通して語られると、重く深刻な話が相対化され、単なる「不幸の人生」ではなく「そんな人生もありだよね」と言えるような、不思議な肯定感が生まれてくる。それでいて心の奥底に、その人生の重さがぐっと残るのだ。

それが、さだまさしの芸なのだろう。さだまさしの作品には人を楽しませる「芸」と「小説」が一体化した、いわば「小説芸」とでもいうような、読み手を徹底して楽しませつつ、なにか人生の機微にぐっと感じ入ってしまうような魅力があるのだ。本当に楽しめる読書、というのは、こういう本が担っているのではないだろうか。

読書の秋である。ただただ小説の魅力に浸りたいとき、本書を読むのは悪くないだろう。

『銀河食堂の夜』 幻冬舎/1389円