『学校の「当たり前」をやめた。』

今、教育に関心を持っている人たちの間で大きな話題になっている本が、麹町中学校校長の工藤勇一さんが書いた『学校の「当たり前」をやめた』だ。amazonのランキングでも総合ベスト20位以内に入り、一時はネット書店では軒並み売り切れ、出版社にも在庫はなしという状態だったほどだ。今は重版分が流通しはじめ、手に入るようになったので、興味のある人はぜひ、早めに手に入れてほしい。

工藤校長がやめた、学校の「当たり前」とは次のようなことだ。
まず宿題を全廃。中間テストと期末テスト、いわゆる定期考査もなくした。そして固定担任制、つまり一つのクラスを1人の担任が持つのもやめた。また頭髪や服装の指導の行わない。つまり工藤校長の改革により、麹町中という東京の公立中学は、宿題も定期テストなく、クラス担任もおらず、服装に縛られない学校になったのだ。

こう書くと非常にセンセーショナルに聞こえるが、その背後には非常に合理的な原則と納得できる理由があり、読むほどに、なるほど、と膝を打つことになる。

例えば宿題を出す目的は「学力を高めること」「学習習慣をつけること」だろう。しかし、宿題を出すと、もとからできる子は問題を次々片付け、できない子はできない問題をそのままに提出する。学力を高めるうえでいちばん大事な「わからないことをわかるようにする」という過程が抜け落ちてしまっているのだ。あるいは、漢字や英単語をノートに書くような宿題は、ただの「作業」になってしまっていることが多い。つまり「学力を高める」という目標に対して、宿題はそれほど有効ではないと工藤校長は考えたわけだ。

さらに、宿題は「やらされる学習」である。生徒を主体的に学ぶ人間に育てたいなら、もっと別の仕組みを作るべき、とも言う。また、教師の多くが、通知表の評価をつけるための資料にする目的で、宿題を出していることも指摘している。目的自体が本来のものとすり替わってしまっているのである。

定期考査も宿題同様、学力を高めるという目的を考えたときに適切ではないという。中間・期末テスト前、テストに出そうなところを一夜漬けで頭に叩き込んだことがある人は多いだろう。結果、テストの点は取れたかもしれないが、一夜漬けでは結局そのあと忘れてしまい、「学習成果を持続的に維持する」ことはできない。一夜漬けで得た「瞬間最大風速」の得点で成績をつけることはおかしい。また、一夜漬け、つまり「直前にやっつけ仕事でなんとかする」という悪癖を助長してしまう点も、定期考査の問題だと指摘もしている。

現在、麹町中では定期考査の代わりに単元テストを行い、理解できていないところ明らかにする方法を取っている。「何だ、どのみちテストはあるのか」と思うかも知れないが、この単元テストは再チャレンジができるのだ。理解できない部分を明らかにし、勉強し直し、さらにテストで理解できているかを確認するーーこれを繰り返していくことで着実に学力を高めていく仕組みなのある。

子どもを持っている方は、新年度になると自分の子の担任が誰になるのか、やきもきした人も多いだろう。事前に、どの教師がアタリで、誰がハズレかといった情報や噂が保護者の間で飛び交うこともある。そして、1年間のクラス運営や学習指導は担任と紐付けられてしまう。学級がうまくいかないのは担任のせい、となり、また担任もその学級の問題を抱え込んでしまいがちで、他の先生と共有しないことさえある。一方、ある教師が他のクラスの生徒の問題に気づいても、「自分の担任じゃないから」と気を使い、問題を指摘しにくいこともあるだろう。

麹町中ではその学年を担当する複数の教師全員が学年の生徒全員を受け持つ。教師のそれぞれの得意分野や個性を生かし、風通しのよいチームとなって生徒たちに最善の手立てを取っていこうというのだ。

頭髪服装指導を行わないのは、端的に言って、どうでもいいからだ。生徒指導の優先事項は、まず命にかかわること、次いで犯罪や人権に関わること。これについては厳しく指導する場面も出てくるだろう。しかし、「赤色の靴下は派手だからだめ」などというのは主観の問題に過ぎず、金髪やピアスも国や価値観が違えば何の問題もない、と工藤校長は指摘する。生徒指導におけるもっとも上位の目標は何かを考えていくうちに、麹町中では「頭髪や服装が問題である」という概念そのものがなくなっていったというのだ。

工藤校長の基本的な考え方は、「目的と手段を取り違えない」「上位目標を忘れない」「自律のための教育を大切にする」の3つだ。これをぶれずに見ていけば、当たり前のこととして温存されてきたものが、不合理だったり、必要がないものであったりすることに気づく。そして本質を掴んだら、対話重ねて合意形成しつつ、ゼロベースで積み上げていく。それが「新しい教育」につながるのである。

ここまで読んで、麹町中学と工藤校長に俄然興味を持った方もいるだろう。本書には、麹町中で実際のどのような取り組みがされているのか、工藤校長が実際にどのようにして公立中学を変えていったのか、などについても書かれているので、ぜひ手にとってもらいたい。

しかし本書は、ただの学校改革の本ではない。その先には、いかにわれわれが自律してゆくか、という大きなテーマが横たわっているのだ。自律するということは、常に自分に関わることに当事者意識を持つ、ということでもある。何か問題があったときに他人や環境など、自分以外の何かのせいにせず、自ら関わって変えていこうとする態度を持つことだ。そしてその態度は、真の意味での民主主義社会を創ることにつながる。学校が変わることで、生徒が変わり、世界の未来が変わる。工藤校長は、そういう大きな枠組みのなかで子どもたちと教育を見ているのである。

『学校の「当たり前」をやめた。』 時事通信社/1800円