前回は恩人の思い出を記して脱線してしまったので、話を元に戻そう。

簡単にあらすじをおさらいしておくと、1997年にぼくが再び金融担当に復帰するやいなや、三洋証券が倒産し、同じ月に北海道拓殖銀行、山一證券が相次いで破綻するという前代未聞の金融危機に突入したのである。

98年3月には大手銀行に対する公的資金が一斉注入されるが、不良債権問題はこれで一件落着とはならず、信用不安は泥沼化していく。

と、ここから先が今回の物語である。

焦点は日本長期信用銀行だった。バブル崩壊で兆円単位の焦げ付きを抱えながら、関連会社に移管するなどの不良債権隠しを繰り返し、「別働隊」として不動産担保融資に突っ込んだ子会社の日本リースは倒産の危機に瀕していた。長銀が倒れるようなことがあれば、金融危機は再燃確実である。

拓銀が潰れた冬は寒かったが、長銀問題が燃え盛った夏は暑かった。長銀救済は国会でも与野党対立の最大テーマとなり、98年夏の国会は「長銀国会」と呼ばれた。

そんな最中のことである。

親しくしていた民主党の某有力議員と馴染みの店で呑んでいたところ、センセイのケータイが鳴った。夜9時を回ったくらいだったか。

「夜遅くに申し訳ありません。これからお目にかかれませんか? 至急でご説明したいことがあります」

金融監督庁(現在の金融庁)の某幹部からの電話だった。

「俺はいいけどな、マスコミの人が一緒やで。それでもええんか?」

もちろん結構です、ということで30分もしないうちに官僚がすっ飛んできた。

「センセイ、日本リースに対する債権放棄を認めてください。認めていただかないと、長銀は潰れます」

必死の表情である。長銀に新たに公的資金を注入し、これを日本リースへの債権放棄の穴埋めに使うべしという案が自民党内で浮上していたのだ。

金融監督庁も長銀救済のために奔走していた。ということが、当夜の出来事からもおわかりいただけよう。

センセイの返事がすごかった。

「やーだよ」

この一言で長銀の運命は決まったのだと、後に思ったものだ。それほど、このセンセイは当時の長銀国会においては影響力があったし、だからこそ金融監督庁が夜も遅いというのに口説きにやって来たのだ。

官僚は何枚かのペーパーを出して、説明を続けた。そこには長銀の主な貸出先に対する融資残高、及び債権分類が明記されていた。不良債権かどうかを表わす債権分類(金融監督庁の検査結果)は秘中の秘である。

官僚はペーパーを指さして、「これとこれ、これもこれも、実質的には不良債権です。不良債権に分類すると長銀が潰れてしまうので、検査では(不良債権一歩手前の)要注意先にしてあるのです」

指の先をたどっていくと、そごうグループ、ダイエー、熊谷組などなど、当時の問題となっていた大口融資先がぞろぞろと名前を連ねているのだった。

結局、センセイは最後まで首を縦に振ることなく、官僚は引き下がることになったのだが、このタイミングでサッとペーパーを強奪したのは、我ながら殊勲賞ものであったと今に至るまで思っている。

「あっ!! それは!!」

官僚は叫んでペーパーを取り返そうとしたが、「いいじゃないか。俺も参考によく見ておきたいし」とセンセイに言われ、二の句が継げなくなってしまった。

このペーパーは本当に役に立ちましたね。中身を小出しにしていって、その後の1年はこれだけでネタに困らないくらい美味しかった。いや、ごちそうさん。

「やーだよ」の一言で債権放棄案は泡と消え、日本リースは98年9月に倒産する。

長銀は住友信託銀行との経営統合に賭けたが、土壇場になって住信が及び腰となり破談した。小渕恵三首相、野中広務官房長官が首相官邸に高橋温・住信社長を呼びこんで最後の説得を試みたが、高橋はかたくなに拒み通したという。

剛腕で鳴らした野中が半ば恫喝気味に説得したにも関わらず、である。よほど「共倒れ」が怖かったのだろう。そういえば、野中も今年1月下旬に鬼籍に入った。金融危機も遠くなりにけり、の思いを禁じ得ない。

住信に袖にされた長銀は、スイス銀行との提携に最後の望みを託すも交渉は膠着し、やがて時間切れとなる。

98年10月、長銀は経営破綻し、一時国有化されることとなった。与野党によるすったもんだの末に、公的資金による直接救済が決定されたのである。

後日談としては、長銀に投入された血税は当初は7兆9000億円にも達した。それをたった10億円で外資(米投資ファンドのリップルウッド等)に売ったものだから、またぞろ政府批判が噴出した経緯がある。

2000年に「新生銀行」として再スタートを切ったが、いまだに公的資金は完済されていない。

長銀問題の熱い夏を経て、98年12月には日本債券信用銀行も倒れ、長銀と同じく一時国有化される。日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行。3つあった長信銀のうち2つまでもが潰れるに至り、金融危機はクライマックスに達した。

99年3月、政府は大手銀行に対する2度めの公的資金注入に踏み切る。第1次(98年3月)は総額1兆8000億円だったが、第2次は総額7兆5000億円。金額を大幅に引き上げ、不良債権問題の抜本的解決を狙った。

ここで誤解されがちなのは、公的資金とはいずれ返さなければならないものであり、贈与されたものではないということだ。

いわば「政府に借りができた」大手銀行に対して、金融監督庁は経営体質強化に向けた再編圧力をかける。

拱手傍観してはいられなくなった大手銀行は血眼になって合併再編に動く。かくして、99年3月を境にして「大再編時代」に突っ込んでいくわけだが、それはまた次回のお楽しみに。(了)