第7回 「締切」雑感

これまで隔月だったものが、今回から毎月連載になりますよ。

と編集者様より連絡があった。それはそれは。よろしゅうございます。毎月連載であれば、遠慮会釈なく道草を喰えるというもの。そういうわけで、今回も脱線します。読者の皆様、お許しを。

連載が隔月から毎月に変われば、原稿締切も然り。書き溜めておけばいいんですけどね。生来、将来計画がない質でして、出たとこ勝負でないと、なかなか原稿は書けない。これは週刊誌記者時代も今も同じであります。三つ子の魂百までも。人間なんて、なかなか変わるもんじゃない。

ええと。何をくどくど言い訳しているのかと申しますと、しょっぱなから締切を忘れてしまい、編集者様に呆れられているのです。なので、今回のテーマは「締切」にしよう。と、安易な道草を思い立った次第でありまして。

週刊誌ですから毎週新しい号が発売されるのですね。したがって、しつこいようですが、毎週締切が来るわけです。これを守らなければ、週刊が隔週になったり月刊になったり。することがあるわけはないので、必ず守らなければならないのです。たとえ、守れなくても。

四半世紀近くもつくり続けてきた週刊誌は毎週月曜日に書店発売でした。が、予約購読者という方々がいらっしゃいまして、こちらには一足早く郵送で2日前の毎週土曜日にお届けしなければなりません。

すると、どういう段取りになるか。毎週水曜日に企画会議をやって、ニュース記事を含めた次号の中身を完全に決めてしまいます。その週の金曜日から締切に入り、翌月火水の計4日間で雑誌1冊をつくりあげるのですね。土曜日に予約購読者の手元に届けるためには、木曜日夜には印刷機を回さないと間に合わない。

個別記事の締切は三段階に分かれていまして、まず「入稿締切」、次に「初校締切」「再校締切」、最後に「下版(校了)締切」と続きます。概ね入稿から下版までは丸1日の工程。つまり、月曜日が入稿締切なら遅くとも火曜日中には下版しなければなりません。

「締切」とは、すなわち入稿締切を指すわけですが、あたしゃこれを守れた試しがない。四半世紀近い間に何千本記事を書いたか確とは覚えていないけれど、入稿締切に間に合ったのは片手の指で数えられるくらいじゃないかと思うな。

下版締切に原稿が間に合えば御の字である。という認識でした。つまり入稿締切からすれば丸1日遅れ。だってね、あまり大きな声じゃ言えないが、この時間に原稿入れると、早ければ初校・再校・下版まで3時間くらいしかかからないわけですよ。

もちろん、突貫作業になるがゆえに校正ミスを含む「事故」は起こりやすいし、校正者、制作チームの残業も長くなるので、多くの方々に迷惑もかける。諸々のコストもかさむ。わかっちゃいるのよ。言われなくても、わかってる。でも、どうしても締切は守れなかった。反省はしていますが、後悔は全くありません。できないものはできない。

今でも記録は破られていないと思うけれど、最悪の入稿遅れは1999年。きっかけは、住友銀行とさくら銀行(いずれも当時)の合併報道でした。これはもう今でもよく覚えている。忘れようたって忘れられるものじゃない。

水曜日の夜にマージャンをぶちましてね、帰りのタクシーで携帯電話が鳴ったわけだ。草木も眠る丑三つ時に。

「おい、住友とさくらが合併するぞ」

同じ金融取材チームのデスクが興奮気味にまくしたてる。携帯電話でニュースを確認すると、なるほど時事通信が速報をぶっ放している。

水曜日の夜ですからね。もうすべての記事は入稿済みで、下版待ちの状態。木曜日の夜には印刷所に回るタイミングだ。しかし、このニュースだけは何がなんでも突っ込まなければならない。すでに入稿済みの記事と「差し替え」ることに決まりまして。

朝6時に金融取材チーム3人が全員集合。睡眠時間なんてないですよ。こちとらは。帰宅したのが4時ごろだもん。風呂入って着替えして、はい出勤。

記事は6ページだったか8ページだったか。おおよその方針を打ち合わせ、早朝から取材に入る。午前中いっぱい取材に時間を割き、午後一番に再び原稿の中身をすり合わせ。手分けして原稿執筆に取りかかり、午後9時ごろに入稿したのかな。本来ならとっくの昔に印刷機が回っている時間であります。

もちろん、印刷は間に合わず、予約購読者への郵送は1日遅れましたが、月曜日の書店発売はギリギリセーフ。いや、ほんとシビれる体験でしたわ。しんどかった。でも、こういうハプニングって、巻き込まれてる最中でさえワクワクするし、楽しいんだよね。早死にすること請け合い(笑)。

1998~99年にかけては大手銀行の再編が吹き荒れまして、「どことどこがくっつくか」が常に取材記者の念頭にあって、あれやこれやとシミュレーションするわけだ。「仮説」なくして取材なんかできるはずもない。

さくら銀行は「負け組」筆頭で、当時は勝ち組だった三和銀行(後に東海銀行と合併してUFJ銀行)が飲み込むというのが一般的な読み筋だったのですね。

ところが、三和が余計な色気を見せた。もっと、さくらを弱らせてから喰ったほうが美味いんじゃないか。とソロバンを弾いて、引き延ばし戦術に出たわけだ。

その間隙を住友銀行の辣腕頭取、西川善文が見事に突いた。三和は「トンビに油揚げをさらわれる」格好になってしまった。

蛇足を連なれば、さらに後年。金融庁検査でUFJ銀行は経営破たん寸前にまで追いこまれ、この時は西川率いる三井住友銀行が救済先の最有力候補に挙がっていたのです。

ところが、此度は西川が色気を出してしまった。UFJという肉は腐る寸前がいちばん美味かろう。と考えたのですね。そして、その隙きを東京三菱銀行(当時)に突かれ、UFJという大魚を逃してしまった。

禍福はあざなえる縄のごとし。といいましょうか。時空を超えた何とも言えない因縁を感じてしまうことしきり、です。

そもそも道草を喰った話がさらに脱線してしまって、どうしようもない。ここらで話にオチをつけましょうかな。

このメルマガは3月25日深夜(26日未明)に書いております。

一応、締切は3月25日ということになっていますが、読者の皆様に配信されるのはどうも4月1日以降になるらしい。

メルマガなんて印刷の手間もかからないのだから、締切がこんなに早いってことは考えられないんですけどねえ。

いや、なに。編集者様に不平を申しているのでは断じてありません。締切は守れないけれど、締切がある仕事は大好きだということを強調したかっただけです。だって、締切がなければ、たぶん原稿なんか書かないもの(笑)。では、また次回に!