『心はどこまで進化したのか 心の個性のルーツをさぐる』

ユヴァル・ノア・ハラリは、ベストセラーとなった著書『サピエンス全史』で、約7万年前の「認知革命」によってヒトの心が突然変わり、虚構を信じる力を手に入れたと書いた。しかし本書『心はどこまで進化したのか』は、この見方に静かに異を唱える。心は一夜にして生まれたのではない。人類600万年の歴史のなかで、遺伝情報の変化の積み重ねとして少しずつ進化してきた――東北大学で長く進化生態学を研究してきた著者は、現代人と古代人のゲノム、化石や石器などの考古資料、行動遺伝学や脳科学の知見を総動員し、「心の進化」という捉えどころのないテーマに、驚くほど実証的に迫っていく。

まず取り上げられるのは「不安」について。不安は危険を予期して身を守るための適応的な仕組みで、その基盤はショウジョウバエにまで見られるほど進化的に古いのだが、チンパンジーと分かれたあとのヒトの系統では、まず不安を感じやすくなる遺伝子変異が生じ、のちに感じにくくなる変異が広がったという。著者自身の研究だけに非常に読み応えがある。

ヒトの共感性と暴力性を扱う章も興味深い。ヒトは見知らぬ他人にまで共感を寄せるまれな動物だが、その共感は仲間内に向かいやすく、外の集団には冷淡になりやすい。小さな集団で暮らすように進化した心が、大量のヒトとつながり情報が行き交うSNS時代には、逆にヘイトや分断を生む。

とはいえ、ヒトが暴力的な動物、というわけではない。致死的な暴力で死ぬ個体の割合を比べると、ヒトはチンパンジーよりずっと低いという。カッとなって手が出る突発的な攻撃性は「自己家畜化」――ヒトが自分自身を飼いならすように進化した――という仮説で説明される。その一方で、攻撃性は、計画的かつ集団的なもの――例えば戦争――へと形を変え、現代社会に暗い影を落としている。

ニューロダイバーシティ、ゲノムワイド関連解析、ヒト加速領域といった最新のキーワードが次々に登場し、さまざまな分野を自由に横断しつつ、研究者らしい落ち着いた筆致で、「心とは何か」を知る最新の見取り図が示される。人間社会とは、いわば人間の心が反映されたもの。その美点も欠点も、ヒトの心の在りようから生まれる。心は知ることは、人間を知り、社会を知ることだ、と痛感した。

『心はどこまで進化したのか 心の個性のルーツをさぐる』河田雅圭著(河出新書)