第6回 古代遺跡の町~ヨルダン編

今回はヨルダン編。ヨルダンというと「どこにあるの?」とか「危なそうだけど大丈夫なの…?」と思う人も多いと思う。私も旅に出る前はなんとなく危険で政情不安のイメージを持っていたが、SNSで多くの旅人が訪れる様子を見て興味を持ち訪れた。

エジプトからヨルダンまではサウジアラビア経由での飛行機移動で向かった。冷静に地図を見るとやや遠回り。そして後々調べればバス移動も可能だったが、この時はまだバスで国境を超える発想がなく、飛行機一択で価格重視で選んだ。結果、格安航空券にありがちな早朝着で朝3時半にヨルダンの空港に到着した。航空券を予約した時はホテル代が節約できると思ったが、安易だった。荷物受け取り所のベンチで夜明けまで貴重品を気にしながら寝ることになり寝た気がしなかった。深夜着のフライトはお財布には優しいが身体には優しくない。自分たちがアラフォー夫婦ということを忘れてはいけない…とこの時痛感した。

アンマン国際空港からまずはペトラ遺跡がある街に向かった。ペトラ遺跡はインディ・ジョーンズの舞台、そして世界一入場料の高い世界遺産だ。ペトラ遺跡には、空港公式のエアポートタクシーで行くことにした。異国のタクシーという緊張感よりも睡魔に負け、到着寸前までの2時間ほぼ寝てしまった。

ペトラ遺跡のあるワディ・ムーサの街は小高い丘を切り抜いたような作りで坂道が多い。地図で見るととても近く見える場所も急勾配の坂で繋がっていることが多かった。ホテルで一休みしたあとGoogle MAPで評価の高いレストランにお昼を食べに行った。キョフテと呼ばれるラム肉の細長い棒型のハンバーグにポテトが添えられているものと野菜と肉を炒めた料理を頼んだが、チップも含めて4,000円だった。物価が高い…高すぎた…。味もやや油っぽかったり香草が効いていたりして腹ペコの割にはいまいちだった。その後改めて他のお店も見てみたがレストランは似たような価格帯のようなので外食は諦めた。結局、ワディ・ムーサ滞在中はホテルの朝ごはんを食べれるだけ食べ、お昼は商店で安いクロワッサンとバナナを買い込み、夜はカップラーメンとバナナで過ごす日々を送った。ホテルの朝食にだいぶ救われた。。。

さて、肝心のペトラ遺跡は翌日から2日券を買って訪れた。2000年以上前に岩を削って作られていて、遺跡は想像以上に広大で、本当に素晴らしかった。シークと呼ばれる大きな岩の間の通路をくぐり抜けた先に見えてくる宝物殿(エル・ハズネ)の姿はとても神秘的で、さらにそこから奥へ進み、山を登り上がった先にたどり着く修道院(エド・ディル)も素晴らしかった。紀元前に作られたとは思えない巨大な大きさで、たどり着いた時はしばらくボーッと眺めてしまった。宝物殿まではずっと平坦な道が続くが、修道院までは常に階段を登り続けるような道なので、炎天下かつ小さい虫が常に飛び回る中のハイキングは思った以上にきつかった。2日目は初日の疲れからほぼ動けず軽めに回って終了した。

ワディ・ムーサに3泊した後、首都アンマンへ移動した。アンマンの街は想像していた土っぽい感じではなく都会だった。ホテルの近くには近代的なショッピングモールがあったり、中心地には円形劇場やシタデルと呼ばれるお城も残っていた。街全体がすり鉢状になっていてとても美しい街並みだ。高台から見える巨大なヨルダン国旗が印象的だった。

アンマンは街歩きがメインでのんびりしたが、印象的だったのはホテル。とても広い部屋だったが、日中は隣のビルの工事でコンクリートを打ち付ける音が鳴り響いていた。タイミングの問題なのでしょうがない。若干の体調不良と気温35℃を超える酷暑のため、辛くなるとホテルに戻って休憩を挟んだが、あまり休まらなかった…。加えてシャワールームが何故か夕方にかけて臭くなるという現象にも見舞われた。ただ、ホテルのスタッフはとても親切だったので悪い印象はない。

ヨルダンの街はとても落ち着いていて人もとても親切だった。「Welcome to Jordan!」と言ってくれる人にもよく出会った。執拗な客引きもなく、エジプトでやや疲れていた私達にはホッとできる場所だった。

私達がヨルダンを訪れた5月時点は落ち着いていたが、現在行けるか?というと行くのは諦めたかもしれない。隣国がイスラエルだからだ。国際問題への言及は避けるが、私が言えることは「タイミング」は非常に重要だということである。