直木賞2025選考直前 候補作ご紹介
7月16日の直木賞選考会直前ということで、今回はその候補作について取り上げようと思う。
もっとも受賞の可能性が高いのは、やはり『逃亡者は北へ向かう』(柚月裕子著)だろう。柚月さんは3回目の候補で今回の候補者の中では最多。また作品も、東日本大震災に取り組んだ骨太の意欲作だ。著者の柚月さん自身が岩手県出身でご両親を津波で亡くしている被災の当事者であり、ひとりの人間として覚悟を決めて真正面から震災に向き合った力強い作品で、この作品が受賞して文句を言う人はだれもいないだろう。
デビュー作の『同志少女よ、敵を撃て』が本屋大賞を受賞した逢坂冬馬は『ブレイクショットの軌跡』で2回目の候補。芦沢央の『嘘と隣人』も二回目だ。この2作も受賞の可能性は十分にあると思う。というのも両作とも前回の候補作より高いクオリティを持っているからだ。『嘘と隣人』は連作短編というところが受賞にはマイナスかもしれないが、巧みで気軽に読めるので、ぜひ手にとってほしい作品である。
塩田武士も直木賞を取るに値する実績と実績のある作家だろう。『踊りつかれて』はSNS上の悪意がテーマで、作者の怒りや今の社会のありようへの違和感を反映させた熱い作品。今の社会問題に真摯に取り組む姿勢は選考のうえでアドバンテージとなるかもしれない。
『むかしむかしあるところに、死体がありました。』で昔話をミステリーに昇華させ、赤ずきんが探偵となる一連の作品もミステリー界で評価される青柳碧人の新作『乱歩と千畝 RAMPOとSEMPO』は、意外なことに、これまでの作風とは違った歴史小説である。明治末~大正期が舞台で、江戸川乱歩と杉原千畝が同じ中学と大学の先輩後輩であった、という歴史的事実から想像を膨らませたフィクションで、二人の交流は事実ではないが、出会わなかった二人がもし出会ったら……という設定がまずとてもいい。登場人物も舞台となる場所も実在するため、6歳差の二人の青年の苦悩がリアルに迫ってきて、実にぐっと来るのである。
さてさて、今回の直木賞候補となった作家の中に、よくエンターテインメント小説を読む方でも、「この人誰だろう?」と思った作家がいると思う。それが夏木志朋さんだ。
正直私も驚いたが、それだけ彼女の作品そのものが評価されたのだろう。ポプラ社小説新人賞を受賞した『ニキ』が本好きたちの間で話題になったのはもう4年前のこと。『仁木先生』と改題されて文庫化されると、16万部を超えるヒット作となっている。
夏木さんの候補作『Nの逸脱』はおそらく今回の候補作のなかで、もっとも受賞の可能性が低い作品と言えるだろう。他の作家に比べれば実績もないし、デビュー後のウェブに連載した3つの中・短編を集めた作品という建付けも、受賞するには弱点になる。しかし、この作品が候補作になったことには大きな意味があるように思う。何より、直木賞候補になることで「こんなに才能あふれる作家がいるよ!」と世間に知られる意味があるし、出版界全体が夏木志朋という作家に期待していることが示されていると思う。
さて、今回の候補作のなかで敢えて特に読んでほしい作品を選ぶなら、最も受賞に近いと思われる作品と最も遠いと思われる作品、すなわち、完成度の高い骨太な意欲作の柚月裕子『逃亡者は北へ向かう』と『Nの逸脱』を挙げたい。そしてついでに(候補作ではないが)夏木志朋のデビュー作である『仁木先生』も読んでみてほしい。前者で実力派作家の骨太作品の凄みに震え、後者で新しい才能のきらめきをぜひ味わっていただきたいと思う。