第29回 卒業の想ひ出

このたびの東北関東大震災の被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。

直接被害にあっていない地においてできることは、心からの応援と義援金と必要以上に物資を買い込まないということだったりするのですが、もっとも大切なのは普段どおりの生活を淡々と続けていくことだと思っています。

テレビ・ラジオ・新聞という既存のマスメディアが終日詳細な情報を提供してくれているお蔭で、今起こっている出来事の概略は把握できます (※個人的な感覚で把握率10%くらいでしょうか)。

これらのメディアと並行して、Twitterからの発信(一般ピーポー&著名人)で得る情報も多いです。

情報内容に玉石混淆の感は否めませんが(なにしろ”つぶやき”ですから)、大方は事実に近い情報だと思われます。

中にはチェーンメール的な怪しい情報があったり、Twitter内論争や権力闘争(?)があったりしますが、たくさんの人のいうことは大体合っているということでしょうか?(フォロー相手への依存度100%ですが)

今回、このTwitterが広めた「作戦」が二つあります。

ひとつは「ヤシマ作戦」(節電)・・・アニメ「新世紀エヴァンゲリヲン」の作中で展開される同名の作戦から転用されたものと思われます。

「新世紀エヴァンゲリヲン」とは、ざっくりあらすじを書きますと、2000年南極で起こった謎の巨大爆発(セカンドインパクト)により、人類は滅亡の危機に直面します。そしてその15年後、人類を次々と襲う正体不明の使徒と14才の少年少女が「エヴァンゲリヲン」という人型汎用兵器にシンクロして戦う姿を描いた近未来アニメです。

作中の「ヤシマ作戦」は、第5使徒ラミエルを陽電子砲で倒す作戦名です。その陽電子砲は途轍もなく電力を消費するため、日本全体で節電(停電?)し、その電力を陽電子砲に集めて、当初の目的を達成するのです。

もうひとつは「ウエシマ作戦」(譲り合い)・・・ご存じダチョウ倶楽部の上島竜平のギャグから命名された作戦と思われます。

上島氏に振られたリアクション芸を、最初、本人は拒絶するのですが、ほかの芸人が「ぼくがやります」「じゃあ、オレが」「ぼくが」と次々手を挙げるので、こらえきれずに上島氏が「じゃあ、ぼくが」と挙手。

その途端にそれまで手を挙げていた一同が、一斉に「どうぞ、どうぞ」と上島氏に譲るというお馴染みのギャグです。

節電と物資の譲り合い(買い占めしない)の精神はこんな形でネットワークから広まっているのです。

今後も、空いた部屋を貸す「カシマ作戦」、いろんな情報を集めて知識だけが豊富になる「ミミドシマ作戦」、焼酎を呑んでリラックスする「キリシマ作戦」、いわゆるひとつの「ナガシマ作戦」など作戦が増えそうです。
(注:これはガセです。メールしないでください。チェーンメールに認定されます)

気がつくと、3月も下旬です。
3月は年度末でもあり、卒業の季節でもあります。

「卒業」という言葉は妙に心の琴線に触れるのです。

ウン十年前の高校の頃を想い出します。。。

制服の胸のボタンを下級生にねだられることを妄想して、予備のボタンを複数個ポケットに潜ませていたあの日。

卒業証書の授与で、同じ苗字の同級生の名前が呼ばれたときに、元気に「はい!」と返事をして、担任教諭を困惑させたあの日。

撮影時に目を閉じてしまった卒業アルバムの写真が、ペンで優しい目に修正されていたあの日。

自分の卒業には、いい想い出はない。。。
想い出さなきゃよかった・・・orz

でも、「卒業」には誰でも忘れられない映画や歌があります。

映画でいうと、ラストシーンだけは誰もが知っている『卒業』(マイク・ニコルズ監督)。

有名大学を卒業して将来有望な若者として故郷に帰ってきたダスティン・ホフマンが演じるベン。
彼を誘惑するアル中のミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)。
存在感は希薄だけど純情なロビンソン氏の娘エレン(キャサリン・ロス)。

ベンは、あらゆることから卒業(?)し、ついには他人の花嫁となるエレンを教会から略奪して逃亡、社会通念からも卒業してしまうのです(これが「不謹慎」なことなのかは不明ですが)。その後、二人の生活がどうなったのか、今でも気になります・・・。

高校卒業後の或る夏(!)の夜を描いた『アメリカン・グラフィティ』(ジョージ・ルーカス監督)。

リチャード・ドレイファス演じるカートを中心にした若者たちの一夜の馬鹿騒ぎ映画です。

全篇オールディーズの流れる中でローラースケートを履いた店員のいるバーガーショップや、自動車をぶっ壊すような不謹慎(?)なイタズラ、都市伝説化したDJウルフマン・ジャック捜索、ちょい役出演のハリソン・フォードなど、見所・突っ込みどころ満載ですが、卒業の開放感と将来への希望と不安を描いた記憶に残る映画なのです。

ラストに、若者達ひとりづつのポートレートを映し出して、その後の人生を紹介する形式は、この映画が最初だったのでは、と勝手に思い込んでいます。

そして「卒業」をテーマにした歌が非常にたくさんあるのは、誰もが忘れられない秘めた想い出があるからでしょう。

世代ごとに忘れられない(想像力を刺激する)歌があって、今後も卒業にまつわる歌は増えていくに違いありません。

ワタシの想い出の歌は・・・

◇卒業して都会に行ってしまった彼が、ついに都会の魅力(罠?)に捉えられて(というよりも、素材はともかく上手な化粧と派手な服装で洗練されたふりをした都会の女性にひっかかって)、田舎の彼女から涙を拭くためのハンカチーフ(木綿)をねだられてしまう歌。

◇街の中で、卒業アルバムの写真と同じように優しい目をしている「あの人」を偶然見かけたけれど、声を掛けられなかったのは、たぶん目が優しいだけでイケメンじゃないからで、今後も可能ならば遠くから叱ってほしいという、ちょっとわがままな歌(直接、話したくないから)。

◇卒業まで同棲していたけれど、夢と理想を追い掛ける彼(鏡に映った彼)の姿がたよりなくて、目の前にあった幸せ(たぶん裕福で安定した生活をしている男性)にすがりついてしまった挙げ句に、彼には変わらずにそのままでいてね、という身勝手な歌。

◇卒業までつきあっていた彼女が故郷に帰るので、季節外れの雪が降る東京駅から見送ろうとしたときに、実は去年よりキレイになった彼女に気がつき、しまった!と後悔するおとこの歌(失ったモノの価値は一気に騰がる)。

◇ミーハーで反体制をきめ込んで粋がっていたけど、就職が決まって髪を切った理由を「もう若くないから」と彼女に嘯(うそぶ)いて振られた(たぶん)くせに、昔彼女といっしょに見た映画のポスターをみつけて、今も未練たらたらに彼女を思い出しているおとこの歌。

・・・・・

こうしていくつか想い出の歌を並べてみたところ、自分がかなり「卒業」に偏見を持った中年のように思えてきました。

いったい過去に何があったのでしょう?>自分
あと何度自分自身卒業すれば、本当の中年にたどりつけるのでしょう?

しかも、卒業に関する歌をこんなふうな偏った解釈をしていると、良識ある方から不謹慎だと怒られそうです。

でも、くじけません。泣きません。もっと哀しい瞬間に、涙はとっておきたいから・・・。

3月は獅子のようにやってきて、羊のように去っていく、という外国のことわざがありますが、一日も早く、寒くて厳しい日々が過ぎて、穏やかな春になってほしいですね。

※文中の歌はタコザンギの妄想の産物です(たぶん)。実在する歌詞に類似していたとしても偶然です。って、毎回云っておりますが、正直なところはインスパイアされてます。不快に思われた方、ごめんなさい。深いと思われた方、どこが?と聞いてみたい。

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