第10回 年間の取材費1000万円、呑ませ喰わせの記者稼業

「仕事相手を気軽に食事、酒に誘うのは、非常に失礼なことだ。貴重な時間を奪っているに等しいのだから」

マッキンゼー元東京支社長の大前研一さんに、こんなことを言われた記憶がある。気軽に食事、酒にお誘いしてしまう筆者としては、大いに考えさせられたものだが、こればっかりはやめられないのよね。

記者時代、原稿の締切にかかっている時を除けば、夜は決まって取材相手との会食だった。ダブルヘッダー、トリプルヘッダーも珍しくなかった。

ほとんどの先輩にとって、会食とは「ごっつあんです!」の世界だった。ビジネスの世界では名前の通った週刊誌である。取材先が気を遣って接待してくれるわけだ。

もう少し気の利いた先輩になると、「代わりばんこ」になる。相手に接待されれば、次はこちらの番。を繰り返していく。

でもね、「代わりばんこ」で、まともな人間関係が築けますか? ここで言う「まともな」とは、要するに取材にあたって「有為な」というほどの意味である。一朝事あるときに、嫌がる相手からネタを引き出せるような間柄になれますか、ってことだ。

ちょっと考えてみれば、単純明快なのである。代わりばんこでは、ディープな情報なんて出てくるわけがない。まして、毎回毎回ご馳走に与っているようでは、取材先の会社に対する切っ先さえ鈍る恐れがある。

そういうわけで、20代の後半から取材相手に対しては、無差別攻撃で身銭を切って呑ませ喰わせ倒すことに決めた。代わりばんこなんて緩すぎる。呑ませる喰わせる呑ませる喰わせるの無限軌道。

「身銭を切って」というが、こちとらそんな高給は貰っちゃいない。すべて会社の経費で賄うってからくりだ。

どうせ、呑み喰いするなら、美味しい店、有名な店にしたいじゃないですか。だから、ずいぶんと高級店に行きましたね。ひとりあたりの勘定が5万円なんてザラにあった。寿司に料亭、ステーキ、フレンチ、イタリアン。なんでもございだ。グルメ本の1冊でも書けそうなくらい、そっちの道にも詳しくなった。

つまり、そのくらい経費を使いまくったってことですよ。年間で1000万円を超えたこともあった。給料より高い(笑)。

社長に呼び出されて、「おまえ、俺がいくら交際費を使ってるか知ってるか? 300万円だぞ。1000万円って何考えてんだ?」

間髪を入れずに返した。
「社長は会社の看板を売る立場でしょう? 300万なんて少なすぎる。わたしが1000万なら、社長は3000万は使うべきじゃないですか」。絶句したね、社長が。

お店は、取材相手に応じて選ぶ。これはキモです。経営者は、経営者同士の会食に飽き飽きしている。たいてい、吉兆、金田中といった有名料亭になるから。毎日毎日、料亭じゃ、そら食傷するでしょう。だから、ちょっと気の利いた小料理屋なんかが喜ばれる。

余談になりますが、昨今ではこういう経営者のニーズを巧みにつかんだお店も増えていますな。花柳界に身を置いていた女将がやってるような。コースは一切なし。好きな料理を適当に選んでつまむ。かつをのたたきに水茄子、油揚げ、ポテトサラダにビフテキ、最後はカレーに目玉焼きのっけて。みたいな注文ができるから、いい年こいたおじいさんも破顔一笑だ。どうでもいいけど、経営者の皆さんはカレーライスが好きなんだなぁ。

話を元に戻すと、経営者と部長クラスでは、また事情が違ってくる。部長クラスじゃ、さすがに吉兆、金田中なんて、しょっちゅう行けるわけじゃないからね。そこで、吉兆、金田中になるわけですよ。もちろん、誰でもいいってわけじゃない。「これは」って見込んだ相手を籠絡する。

みんながみんな、こんなやりたい放題をやるようじゃ、会社が潰れる。社長の説教ももっともなんだけど、そこはよくしたもので、みんながみんなやるわけじゃないのよ。だって、経営者との会食に際して、「どんな話をすればいいんでしょう?」って真顔で訊いてくる部下が少なくなかったんだから。ま、日々の呑み喰いが苦にならないどころか楽しみでもあるってえのは、向き不向きもあるんでしょうな。

あるとき、編集局長からこんな話を聞いた。
「おまえが経費請求した領収書・請求書な、みんな税務署が持っていったぞ」

後日談になるが、この税務調査を境にして、それまで経費(損金処理できる)として認められていた「取材費」が「交際費」扱いになったらしい。わかりやすく言うと、5万円なら5万円丸ごと損金扱いだったものに税金がかかるようになったわけだ。なんちゅうか本中華。

そのうち、会社では「1ヶ月ルール」なるものが導入された。「1ヶ月以内に経費精算しないとチャラ」ってことだ。経費精算が苦手中の苦手だった筆者にとっては「狙い撃ち」にも等しい暴挙(笑)である。

こまめに経費精算の伝票を書けばいいんだけどね。日中の取材もあれば、原稿も書かなけりゃならない。だから、どうしても後回しになる。後回しにしているかたわらで、なにしろ会食は毎日のようにあるから、請求書・領収書は雪だるまのようにうず高く積み上がる。そうなると、もういけませんや。机のひきだしに突っ込んだまんま。

落語のオチみたいな話になるけれど、結局、「身銭を切る」羽目になった。当初は1ヶ月ルールが守れなくて、経理部長に始末書を出し、なだめすかししてはいたものの、その始末書が経理部長の机の上に何枚何十枚もピン留めされるようになっちゃ、もう泣き落としもきかない。

500~600万円はヤラれたかなぁ。辞表をたたきつけたときは(退職は経費とは関係ないけど)、まだ領収書みんな揃ってたからね。1ヶ月ルールなんて単なる社内規定だし、これで経費払わないってのは明らかな法律違反。退職に関わるすったもんだで腹にすえかねていたこともあって、いっそ会社を訴えようか。とも思った。みっともないし、めんどくさいから、そのままになっちまったけど。

会社をやめて8年。まともな仕事はしていないし、収入もろくろくないけど、いまだ取材先との会食だけは欠かせない。これだけが生命線。みたいなところがあるから。

しかし、なんですな。
「あのころはご馳走になりっぱなしだったから、今度は俺がおごるよ」。って取材先は、ほとんどありませんね(苦笑)。もう、身銭を切りっぱなしの大赤字。

でもね、この赤字は「健全な赤字」であり、ゆくゆくは何らかのリターンに結びつくものだと信じているのです。信じていなけりゃ、やっちゃらんないよ。正直な話。(了)