第108回 財界総理として権勢を振るった稀代の「寝業師」、奥田碩・トヨタ自動車元会長「へっへっへ」の思い出
トヨタ自動車の奥田碩・元会長が、さる8月8日に亡くなった。享年93歳というから「大往生」である。
奥田さんとは、ビジネス週刊誌の通信担当時代によく記者懇親会などでお目にかかった。当時、まだ専務だったと思う。
トヨタのいわば「番頭格」で、豊田章一郎会長(豊田章男・現会長の父親)の信任も厚かった。
いつもニコニコと笑顔を浮かべてはいるものの、正直言って「慇懃無礼」だなという印象を受けたことを今でも憶えている。
その頃、トヨタは長距離系新電電の「日本高速通信」の主要株主であり、先行する京セラ系の第二電電(現・KDDI)、JR系の日本テレコム(現・ソフトバンク)に大きく水を開けられ、通信事業からの撤退やむなしと見られていた。
こちらも若かったから、会えば必ずストレートに尋ねる。「独立路線じゃやっていけないですよね?。どことくっつくんですか?」
すると、「へっへっへ」というような笑い方をしながら、決まってこう切り返してくるのである。「どうすればいいと思われますか?」
こっちが訊いてるんだっつうの(笑)
奥田さんが柔道の達人だと知った時には、「あゝ、このひとは立ち技では勝負しないな。一本背負いなんかが得意なわけがない。間違いなく”寝業師”だ」と合点した。ガッテン、ガッテン!
余談だが、ロシアのプーチン大統領とも親交があり、柔道つながりで意気投合したのだという。「プーチンは絞め技で決めそうだな。奥田さんの寝技と、どっちがしぶといかな」とどうでもいいことを思ったりしたものだ。
結局、日本高速通信を吸収合併したのは、KDDだった。1998年のことである。トヨタにしてみれば、事実上の「身売り」に他ならない。
すでに奥田さんにお目にかかることはなくなっていたが、身売り相手にKDDを選んだことの本音は聞いてみたかった気がする。のらりくらりとかわされるに決まってはいるのだけれど。
第一印象は良くなかったが、奥田さんの「人物」を人づてに聞いたりすると、意外の感を免れない話が多々あった。
新入社員時代は、酒と麻雀に明け暮れた不良社員だったこと。上司と反りが合わずフィリピンに左遷されていたこと。とんでもないスピード狂で、トヨタのテストコースでは時速200㌔オーバーで運転していたこと等々。
いずれも、あのニコニコして捉えどころがない奥田さんのイメージからは想像もつかないエピソードばかりだ。むしろ「剛直」な性格なのである。
後にトヨタ社長に就任した時には、「人は見た目では分からないものだ」とつくづく反省したものである。今にして思えば、「人は見た目では分からない」ではなく、こちらに「人を見る目がなかった」ということだろう。
1998年には日経連(日本経営者団体連盟)会長に就任し、2002年に旧経団連(経済団体連合会)との合併を主導。自らが新生・日本経団連の初代会長に就任し、2006年まで財界総理として権勢を振るった。
後任の日本経団連会長として、御手洗冨士夫・キヤノン会長を指名。東京電力、東芝といった経団連銘柄(過去に会長を何人も輩出している)でなく、経団連にあっては「新興」のキヤノンに白羽の矢を立てるあたり、腹も据わっていた。
会長就任要請の電話がかかってきた時、御手洗さんは断わるつもりだったらしい。その空気を察知した奥田さんは、「あ、ちょっと電波が悪くなってきましたな。切れたらごめんなさい」と言って電話を切ったそうな(笑)
電話を切られた御手洗さんは毒気を抜かれたかたちになって、とどのつまり奥田さんに押し切られてしまった。さすがは、柔道の達人である。これぞ、「間合いを外す」の極意だろう。
社長在任中には「トヨタは豊田家のものではない。(豊田家が)トヨタの株を何パーセント持っているというのだ?」と周囲に漏らしていたという。
おそらくは豊田章男・現会長のことが念頭にあったのだろう。トヨタ社長の椅子は奥田碩から張富士夫、渡辺捷昭とバトンタッチされ、2009年に豊田章男に「大政奉還」された。
その後のトヨタを、どう見ていたのか。奥田さんの言葉で聞いてみたかった。今ではそれも叶わないこととなったが、あの世から、あの笑顔で「へっへっへ。どう思われます?」と返してくるような気がしてならない。

