第2回 衝撃のインド編~前編

今回は2カ国目、インド前編。インドには4/17からの10日間でデリー、ジャイプール、バラナシ、コルカタの4都市を訪れた。私達が訪れたのはインドの北部のエリアになる。

人生で一度はインドに行ってタージ・マハルをこの目でみたいとずっと思っていた。高校時代、世界史の先生がぜひ一度は行ってみてほしい場所、と目を輝かせながら話してくれたのが印象的だったからだ。

あれから20年。ついにインドに降り立った。デリーの空港で巨大な手のオブジェが並んでいるのを見た瞬間、インドに来たんだ!とわくわくした。

空港を出るとドライバーが出迎えてくれていた。タクシーの客引きが激しく最初の難所と言われるため、ホテル送迎を手配していた。ドライバーは荷物を運んでくれたり感じの良い人だった。が、車が走り出すと猛スピードで車線変更を繰り返し、「プップープップー」とクラクションを鳴らしっぱなし。周りの車も同じく鳴らし続けるので、耳が痛くなった。もう笑うしかなかった。中心街に近づくとある意味神業が際立ち、逆走車やオートリキシャの横入り、人の急な横断などをかわしながらどんどん進んだ。しかもよく見たらシートベルトをしていない…カオスだ。これがインドか…と思った。

空港からホテルまでは30分くらいだったが、残り数分の所で車が止まった。どうやら「もうすぐ着くからチップをくれ」ということらしい。呆気にとられたが降ろされても困るのでやむなく100ルピー払うことにした。細かいお札がなく500ルピーでお釣りをくれ、と伝えたが戻ってきたのは200ルピー。いやいやいや、と押し問答を繰り返し、結局100ルピーで合意した。

なんとかホテルまでは到着した。が、なかなかの立地である。ニューデリー駅近くのパハールガンジというエリアで、車がすれ違えるほどの狭い路地にホテルやゲストハウス、商店や屋台が立ち並ぶ。道にはゴミが散らばり、野良犬があちこちに、たまに野良牛もいて、土埃が舞う中、車とオートリキシャで常にクラクションが鳴り続ける、そんなエリアだった。

部屋も衝撃だった。まずエアコンがなかった(たしかにあるとは書いてなかった)。おしゃれなカフェで見る天井にプロペラが付いてくるくる回るあれがカタカタ音を立てながらすごいスピードで回っていた。また、リネン類もいまいち清潔感に欠けていた。1泊3,000円、意外と外の喧騒は聞こえないし寝れるだけで十分だと思い直した。

ちなみに、空港からホテルにチェックインまでの間に夫がスマホを紛失した。旅に出て4日目、早くもプチトラブルに見舞われた。

インドの洗礼というやつなのか、初日からどっと疲れた。そして、この国に10日間も滞在でよかったのか、と不安に思った。

デリーは3日間。2日目は朝3時にツアーのドライバーが迎えに来てくれた。この日のドライバーはドアの開閉や空調も気遣ってくれ、車の整備も隅々まで行き届いていて、もちろんシートベルトもしていた。「インドのドライバー」と一括りにしては失礼だったな…と反省。

日の出のタージ・マハルを見にアグラという街まで向かった。車で3時間半くらいの距離だ。途中サービスエリアに立ち寄り、インドに来て初めてチャイを飲んだ。ここはジンジャーチャイ。生姜が効いていて日本で飲むものとは全然違い本当に美味しかった。蛇足だが、これを機にすっかりチャイにハマったので、ペンネームはCHAIなのだ。

タージ・マハルは本当に素晴らしい。白く輝く霊廟は皇帝シャー・ジャハーンが王妃の死を悼み17年をかけて建てられた。遠くからでも大理石の白さが眩しいほどで、入り口から徐々に見えてくるその姿は神秘的な雰囲気に感じた。約350年前に作られたとは思えない、精巧さ、美しさだった。ずっと見ていられるそんな場所なのでぜひ訪れてほしい。

デリー3日目はインド門とレッド・フォートを訪れた。特にレッド・フォートは素晴らしかった。こちらもシャー・ジャハーンがアグラから遷都をする際に自らの居城として建てたものだが、赤い砂岩でできたお城は広大だった。デリーの喧騒から離れてのんびりできるのでおすすめだ。

デリーは初日から衝撃が大きかったが少しずつ馴染んでいった。クラクションの合唱にも慣れたし、ホテルを出た瞬間から始まるリキシャの客引きをかわすのにも慣れた。ゴミの散らばった道やたまに出会う牛にも慣れた。リキシャの値段交渉は面倒だし、チップが少ないと明らかに不満な顔をされたりもするけど、ホテルのスタッフやUberのドライバーなどいい人たちもいることに気づけて、10日間生き延びる希望がもてた3日間だった。

デリーで終わってしまったので、また次回インド後編へつづく…。