第9回 暮らすように滞在するヨーロッパ ~ポーランド&チェコ編
オーストリアからポーランドへはFlixBusで移動した。
ポーランドで滞在したのは、ポーランド第二の都市で「ポーランドの京都」とも呼ばれているクラクフという街だ。
バスで6時間半くらいの予定だったが、見事に渋滞にはまり結果的に8時間くらいかかった。
朝8時発のバスに乗るために7時前には宿泊先を出発したので到着した時にはヘトヘト。まずは荷物を降ろしたい、ということでAirbnbへ向かったが、4階建ての最上階でエレベーターがない!夫は14kgを引っ張りながら、私は10Kgのバッグパックを背負いながら気力で上まで向かった。上りきった時には二人とも疲れ果てており、とりあえず部屋になだれ込んだ。数日ぶりの個室にテンションは上がったが、キッチンやトイレ&シャワールームは他の3部屋と共有だった。そんな中私はトイレから出られなくなるというプチ事件が起きた。2回まわすと開くタイプの鍵だったが、何度まわしてもカチカチいう音はしても全く開けることが出来ない。外から夫に教えてもらい何とか脱出できたが、ヨーロッパは鍵のかけ方が日本のようにはいかず、ちょっとしたコツが必要なことがあるので、トイレだけでなく部屋もぜひ閉める前に試すことをおすすめしたい。
到着早々私も危ないところだった。一人旅じゃなくてよかったと思った瞬間だった。
クラクフは3泊4日の滞在だったが、一番の目的はアウシュヴィッツを訪れることだった。
丸一日はアウシュヴィッツ訪問の日となったが、それ以外は街歩きで地元の名物料理を食べたり自炊したり、暮らすように旅する、を楽しんだ。
近くの小さなスーパーで「OYAKATA」という名のインスタント味噌ラーメンを発見したり、「SUSHI」も見つけてつい手が伸びた。
OYAKATAは最高においしかったが、SUSHIはお米が硬くてイマイチだった。ここからインスタント麺も私達の定番メニューに仲間入りすることに。
さて、アウシュヴィッツについてはどのように触れるべきなのかとても悩むところではあるが、行って良かった場所であり誰もが一度は行くべき場所であると感じた。正式名称はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所というが、クラクフの街からバスで1時間半ほど離れた場所にあり、当時の建物がそのまま残っている。個人見学も可能だが、私達は正しく理解したいという思いもあり、ネットで見つけた中谷剛さんという唯一の日本人公認ガイドの方にガイドをお願いすることにした。多忙な方で中々日程が合わないことも多いようだが、幸いにも日程があったので中谷さんにガイドしてもらえる日程に合わせてポーランドを訪れるタイミングを調整した。
日本人10人ほどの参加者と一緒に収容所の中を順番に見学した。ここで具体的に取り上げることはしないが、衝撃の連続だった。入口の写真は一応撮ってみたものの建物内の展示は写真を撮る気にならなかった。
これが本当に現実なのかと思いたくなることが多すぎたが、わずか80年ほど前に人間が起こした事実ということを受け止めなくてはいけないと感じた。
中谷さんにトータル3時間近く案内してもらい、見学を終えた。ぜひ皆さんも訪れてほしい場所の一つだが、その際はガイドもお願いするとより理解が深められる。
中谷剛さん、Googleで検索して直接ご本人にメールをすれば予約できるのでお願いしてみるといいと思う。
ポーランドは煌びやかな華やかさはないが、少し物価も安く街も落ち着いていて、おすすめだ。
クラクフを後にした私達は、チェコの首都プラハへ。プラハにもバスで向かった。
トラムの駅近くのアパートメントタイプのホテルに3泊したが、この宿が最高だった。リビングとベッドルームが分かれてとってものんびりできるのだ。
そしてプラハの街並みは絵に描いたような街並みで、トラムで街中を動き回れるので、2日目は街歩きを楽しんだ。
プラハ城からカレル橋、天文時計やジョンレノンウォールなど街の見どころを一通り見尽くした。
もちろんビールが安いのでチェコの大衆居酒屋でも飲んでみた。ビールと本場のウィンナーのセットは暑いこの日に最高だった。平日の昼だったがスーツを着たサラリーマン風の人など、周りのみなさんもビールを楽しんでいた。
が、このあたりから実は頭痛いなと思いながら街を歩いていた。宿に戻って横になったがやはり調子が悪く、熱を測ると39度あった。コロナか…と思ったが、調べるわけにもいかずとりあえず手持ちのバファリンを飲みひたすら寝て耐えた。翌朝には少し下がり何とか近所のカフェくらいは行ったが、それが限界だった。この旅初めてとなる、本格的な体調不良だった。おそらくだが帽子もかぶらず炎天下をずっと歩いていたので熱中症になったのだと思う。以後反省して帽子をかぶるようになった私である。次回はドイツへ移動する。