第14回 旅の前半締めくくりの地 ~トルコ編

出発前に3か月経ったら一度帰国すると決めていた。正確には私の親の説得が難航して、折り合う条件がこれだった。

1回目の帰国前ラストはトルコ。父の故郷が和歌山県の串本町なので、小さい時からトルコの船エルトゥールル号が遭難した際に救助したことがトルコと日本の友好の原点になったという話は何度か聞いたことがあり、昔からトルコに行ってみたいと思っていたのだ。

トルコでは首都イスタンブールとカッパドキアの街ギョレメに計10日間滞在した。

イスタンブールの空港を出ると「タクシム!タクシム!」と叫ぶ声が聞こえた。それが「タクシー」に聞こえ、よくあるタクシーの勧誘だと思い「No!」と言っていたが勘違いで、Airbnb近くのタクシム広場行きのバスのアナウンスだったため、そのバスに乗り込んだ。バスを降りてAirbnbまでは歩いて20分。Uberが捕まらず、地元のタクシードライバーに声を掛けられるも基本メーターがないぼったくりタクシーのようなので歩いて向かった。

予定より2時間近く遅く到着したが、ホストは嫌な顔一つせずに出迎えてくれ、階段しかない3階まで一緒に荷物を運んでくれ、「疲れたでしょう、冷たいお水をどうぞ」「リラーックスリラーックス。今日はゆっくり休んでね」と優しく声をかけてくれた。

イスタンブールの街はどこに行くにもバスや地下鉄、フェリーを使って移動が出来るので街歩きには最適。

3日かけて街中を歩き回り、1日はブユカダという離島へ行った。ちなみにこのブユカダまでのフェリーのデッキで急に実演販売が始まったのは驚きだった。

レモンを絞るような便利グッズと、よく切れるピーラーの販売だった。日本の実演販売と似たような感じではあるものの、乗客に「おぉぉぉ~」と言わせようと促す感じは独特だった。現地の人には日常の光景のようでキョロキョロしているのは私達だけだった。

イスタンブールは街も島も堪能できたが、ギョレメへの移動日に少しやらかした。
朝起きると夫の姿が見えず、部屋の床が濡れていた。何が起きたのか理解するまで時間がかかったが、簡単に言うとシャワーカーテンを閉め忘れて、部屋を水浸しにしてしまったのである。

トイレの個室にシャワーヘッドが付いている珍しいタイプで、シャワーをするとトイレがびしょ濡れになる構造だった。シャワーカーテンが必須だったが、それを忘れてシャワーを浴びてしまったようで軽く床上浸水状態になっていた。

どうやってホストに謝ろう、弁償ってどれくらいしたらいいのか、という考えが頭をよぎった。

朝も早かったので、急ぎホストにはお詫びと弁償について連絡したところ、返信がこんな感じの日本語で来た。
「あなたの気持ちはよく理解しています。あなたを悲しませたくない。意図しない問題です。お金を払う必要はありません。心配しないで。あなたの正直さを気にかけています。だから日本は私にとって大切なのです。」と。
ホストの優しさに本当に救われた。ちなみに今年のお正月の能登地震の際も心配してメッセージをくれた。イスタンブールに行くときにはまた彼に会いに行きたい。

 

イスタンブールからカッパドキアのあるギョレメへは夜行バスで10時間ほど。ちなみにこのチケット購入がこの旅で一番言語の壁を感じた瞬間だった。

英語がほぼ通じず、トルコ語のみでGoogle翻訳を初めてちゃんと使った。身振り手振りも交えて最後は雰囲気で乗り切ったが無事に乗れた時には達成感があった。

ギョレメに着いたのは朝8時頃だったが、ホテルに向かうとチェックインが出来た。しかも「今朝食の時間だから食べていいよ」と言われてちゃっかりご飯にありついた。
ホテルの屋上にあるレストランから見たギョレメの街は高い建物がなく、奇岩に囲まれて自然いっぱいでとても素敵な場所だった。

ギョレメに来た目的はカッパドキアで気球に乗ること。

夫は高所恐怖症なので一人で乗ってきていいよとギリギリまで言っていたが、最終的には二人で参加した。

空から見るカッパドキア、一度はぜひ味わってみてほしい。ちなみに高所がどうしても苦手な場合は、地上から気球が飛んでる姿を眺めるのも楽しめるのでおすすめだ。

トルコは物価も安く、鯖サンドや濡れバーガーなどB級グルメが豊富で、買い物も特に雑貨がかわいくて手頃なものが多かったのでもう少しのんびりしてもよかったなと思う程だった。

トルコから日本へはカタールと香港を経由し、丸二日ぐらいかけて帰った。
この旅で移動は常に過酷だったが最後が一番過酷だったかもしれない。自宅に着くと疲れきって寝てしまい、しばらく起きられなかった。

久々に帰ってきた日本は、安心感がものすごかった。そして各所のアナウンスが必要以上に丁寧だとも感じたが、これこそ日本らしさなのかと思った。

2か月半で地球1周分の4万Kmちょっと移動したらしい。毎日が刺激的で、最高な日々だった。2回目の出発はまた次回。