第22回 日本を感じた南米の街 ~ アルゼンチン・パラグアイ ~
チリのアタカマを出発した私達が目指したのは、パラグアイのイグアス居住区にある伝説の宿「民宿小林」だった。元々パラグアイに立ち寄る予定はなかったものの、南米を旅するならここに立ち寄らずに日本に帰ることはできない気がして、アタカマから2,000Km程離れているが向かうことにしたのだ。
まずはバスでアルゼンチンのサルタという街で2泊、サルタからはバスを乗り継ぎ車中泊を経てパラグアイの首都アスンシオンで1泊、さらにバスで5時間ほどかけてようやく民宿小林にたどり着いた。トータル4日半ほどの道のりだった。
せっかくなので少し途中の街にも触れておくと…サルタはアルゼンチン第三の都市で、街には大聖堂や教会があるのでキリスト教の巡礼者が多く、毎晩23時までミサが行われている。





久しぶりに都会に来たが、当時は大統領選挙を控えているタイミングでやや異様な雰囲気だった。インフレが進み通貨の価値が暴落していて、どこの銀行も窓口には行列が絶えず、街中には両替商がそこら中に立っていた。私達も両替商に声をかけてボリビアで用意した米ドルやユーロをアルゼンチンペソに両替した。
街中の両替商で外貨を両替するとブルーレート(闇レート)が適用され、とてもお得。私たちもかなりブルーレートの恩恵をうけた。大体半分くらいの金額で、ステーキもカフェも堪能できてリッチな気分を味わえてありがたかった。


そこから、バスを乗り継いで到着したのがパラグアイの首都アスンシオン。ここに来るまではアルゼンチンの広大な大地を眺めながらの移動だったが、アスンシオンに入ると少し都会になった気がした。
1泊のみ、プールのある豪邸の一部屋に泊まった。いわゆる高級住宅街のような立地だったが、見慣れないアジア人を警戒したのかあちこちの家の犬が一気に吠え出した。しまいには野良犬も付いてきそうになって小走りに宿に駆け込んだ。
アスンシオンのお店は窓に鉄格子が付いているところも多く治安が悪いのか、犬もペットというより番犬という感じだった。
翌日はついに民宿小林へ。アスンシオンからバスで5時間半。しかもちゃんとしたバス停はなく53km地点で下ろしてとドライバーに伝えて降りる必要があった。南米のバスは途中売り子が乗ってくることがあるが、アスンシオンからのバスは特にそれが激しかった気がする。よりローカルなバスなのかもしれないが、飲み物やパンやサンドイッチだけではなく、眼鏡を売ってたり、歌を歌い始める売り子もいた。食べ物以外の人気はイマイチな気がしたが、これが日常のようだ。
ちなみに運転手は複数人いて交代しながらのようだが、みんなマテ茶の大きな水筒を抱えて乗り込んで途中お茶をしながら爆笑しながら運転していた。運転は大丈夫か、とも思ったがここは南米。この空気感が最高だった。GoogleMapを見ながら果たして通り過ぎないかとドキドキしていたが、ちゃんと下ろしてくれた。

イグアス居住区と呼ばれるこのエリアは日本からの移民が野原だった場所を開拓して作った街。中心地には農協やお寺、日本食のレストランもあり、日本にいる錯覚をおこすほどだ。滞在中に私達も農協には何度か訪れ、納豆や味噌、日本のお菓子や調味料があることに感激した。また日本食レストランもしっかりとした日本の味で最高だった。日本から遠く離れたこの地にこんな日本らしい場所が広がってるなんて思ってもみなかった。そして多くの旅人がここに長期滞在(通称、沈没と言う)するのも分かる気がした。



民宿小林の周りは何もない。中心地からも車で10分ほどかかる。道路は赤土、広い芝生の庭が広がり、犬猫が総勢20匹くらいいて柵の外に出ている5匹くらいは常に私たちの後をついてきて歓迎してくれた。街灯も少ないので夜は星空、毎日朝日と夕日が最高に綺麗だった。


食事はすき焼き、カレーライス、のり巻き、唐揚げ、天ぷらそば、サラダと日本食のオンパレードでしっかりリフレッシュできた。しかも毎朝生卵かけご飯にもありつくことができ、日本の日常の幸せをしっかり感じることができた。どこか懐かしい田舎のおばあちゃんの家に来たような感覚だ。





出発の日の朝は土砂降りで国境近くのシウダ・デル・エステまでは道も悪くバスもなんだか古く、扉はパタパタ開きながら、座ってても何回か椅子から宙に浮いてしまうほどだった。
パラグアイからアルゼンチンは途中ブラジルを経由して向かうことから出国と入国手続きのためバスの乗り降りを繰り返してアルゼンチン側のイグアスの滝の街、プエルト・イグアスにつくまでほぼ半日くらいかかった。
続きはまた次回。いよいよこの旅もフィナーレを迎える。


