第90回 サラリーマン生活の半分に及んだデスク稼業、世間の常識とは正反対の「記者と管理職」の実態

その昔に働いていたビジネス週刊誌編集部には、編集長が1人、副編集長が6~7人、記者が30人以上いた。副編集長(デスク)に昇格すると「管理職」になるわけだが、今回は週刊誌の世界における「記者と管理職」について書いてみたい。

アタリマエのことだが、記者は「記者」の仕事が大好きである。日々、新しい人々と出会い、新しいニュースを追い、新しい価値を提供することこそが、「記者」という仕事の醍醐味だ。

一方で副編集長という仕事は、基本的には部下のワークフローを管理し、デスク全体としての記事出稿を増やしていくものである。

「記者」でなくなるわけではないのだが、「記者」の面倒をきちんと見ている限りにおいては、「記者」の仕事などできなくなってしまうのだ。

そういうわけで、「記者」として優秀であるほど「管理職」に昇格するジレンマは大きい。ホンネを言えば、副編集長になんかなりたくない。

大新聞のように記者の数が多ければ、「編集幹部(管理職)コース」「編集委員(記者)コース」に振り分けることもできるが、雑誌はそこまで人手が回らないし、人材も限られている。

いきおい、優秀な記者は必ず管理職になる。場合によっては、さほど優秀でなくとも「数合わせ」のために昇格させることすらある。

筆者は、1987(昭和62)年に入社した。過去にこのコラムでも書いたことだが、最初の3年間は遊んでばかりいた。記事らしい記事は書かなかったと言っていい。

あるきっかけがあって仕事に打ち込むようになり、1998年に副編集長になった。そして、あるきっかけがあって、2010年に副編集長のまま会社を辞めた。

要約すると、11年は記者として働き(繰り返しになるが、うち3年間は働いていない)、11年は副編集長として務めたことになる。計算が合わないのは、1年足らずの間だけ営業部長として飛ばされていたからだ。

記者、管理職のキャリアがちょうど半分ずつだったんだな。と書いていて初めて気がついた。

筆者も「副編集長」にはなりたくなかった。ただし「編集長」にはなりたかった(笑)。副編集長にならなければ編集長にはなれないので、「だったら早く昇格させてくれ」と上司に開き直ったことを思い出す。

「編集長になりたい」という願望は、世間一般の「出世願望」とはまるで違うものだ。

雑誌は編集部が一丸となってつくるものだが、その方向性を決められるのは編集長ただ1人しかいない。

編集長のイニシアチブで売れる・売れない、面白い・面白くない、役に立つ・立たないがガラリと変わってしまう。読者の厳しい評価にさらされるから、言い訳なんか一切通用しない。それこそがやりがいであり、だからこそ編集長になりたいのである。

自らの興味だけを追求し、生涯を一記者で終えるという選択肢も確かにあっただろう。そちらのコースを選ぶなら、早い段階でフリージャーナリストとして独立し、世間で注目される仕事を次々にこなしていかねば意味がない。

そこまでの自信はなかった。それよりは、ブランド力のある週刊誌編集長として誌面を活性化したほうが、はるかに読者の役に立つのではないか。三十路に入ったあたりから、そんなことを考えるようになった。

いざ副編集長になってみると、マジつまらないことのほうが多かった。自分の時間割りで仕事が進まない。記者のペースに合わせなければならない。

記者は良くも悪くも個性的であり、そこには人間対人間、個性対個性のぶつかり合いも生じる。本音で、遠慮なくコミュニケーションするほど、コンフリクトも増大していく。

中には文字通りの「バカ」もいるので、記事の書き直しにも手間を取られる。「手間を取られる」なんて甘い言葉では表現しきれないほどの根気と労力が求められる。

「バカが書いてるんだから致し方ない」では済まされない。一定水準以上の記事に引き上げないと、商品として本屋さんに並べるわけにはいかないのだ。

記事を書いた記者に「取材」して、自分で一から書き直すということも何度もあった。まるで違う記事になってしまうので、記者は不平タラタラである。

そんな記事が評判になったりすると、そんな記者は自分の手柄として吹聴したがるから、やってられない。殺してやろうかと思うことも一度や二度ではなかった。

サラリーマンの感覚でいうと、記者というのはいわゆる平社員であり「下積み」になるのだと思う。実は、決して下積みなどではなく、それ自体がやりがいのある仕事である。

「下積み」というのは、むしろ副編集長のことではないか。個人的には編集長になるための「下積み」であり、「年季奉公」だと割り切るしかないと思っていた。

管理職に昇格したのに下積みに降格される感覚を味わうあたりが、出版社の面白いところだ(当事者としては決して面白くないのだけれど)。

11年も「下積み」をやったわけだが、とどのつまり編集長にはなれなかった。厳密に言うと、なれたかどうかも決まっていない時点で会社を辞めることになった(辞めさせられたわけじゃありませんよ)

会社生活の半分に及んだ「下積み」時代が全く無駄だったとは思わないし、さほど後悔もしていない。それでも、「つまらないことをやったなぁ」という思いは今でも拭えない。

書いてるうちに腹が立ってきた(笑)。もうやめよう。こんな話は、読者諸氏の役にも立たなければ、読んでいて面白いものでもないに決まっている。次回はもっと面白いテーマにしよう。