『蜜蜂と遠雷』恩田陸

今回は小説をご紹介。

最近、出版される小説の帯に安易に「著者の最高傑作」といった文言が並んでいるのが気になる。

もちろん、そう次から次へと最高傑作が登場するわけもなく、そのような自称「最高傑作」を読んでみれば、これまでその作家の作品で最も優れている傑作であった試しはほとんどなかったように思う。

もっともこれは作家自身というより、出版社側の事情だろう。年々帯の文句は派手になってきており、その大げさぶりの極みのひとつが「最高傑作」なる言葉、というわけだ。

で、今回手に取った本、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』の帯には「文句なしの最高傑作!」とある。

最高傑作であり、しかも「文句なし」とはなから決めつけられている。

「そうでもないんじゃない?」といった異論を認めない風情だ。恩田陸さんの本は随分読んできたので、本当なの?『◯◯』より、『××』よりすごい作品なの? と思わず買って読み始めてしまったわけである(まあ、帯の文句を考えた人の思うツボということかもしれない)。

舞台はクラシックのピアノコンクール。近年世界的な評価が高まる芳ヶ江国際ピアノコンクールに挑む4人のピアニスト。

一人は子どもの頃は天才の名をほしいままにし、CDデビューもしていながら、13歳のときに母を喪ったのをきっかけに、ピアノを弾くのをやめてしまった栄伝亜夜、コンクールの優勝候補とされ、ジュリアード音楽院のプリンス、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、楽器店で働きすでに妻子がいるが、音楽家であった自分の姿を息子に残すために、年齢制限ぎりぎりの28歳でコンクールに挑戦する高島明石、そしてすべてのピアニストが尊敬する名手で名教育者であった故ユウジ・フォン=ホフマンの愛弟子だという、まったく無名の風間塵。

まず4人の設定が見事だ。

父が養蜂家で季節ごとに各地を転々とし暮らし、ピアノさえ持っていない16歳の風間塵は、審査員たちを惑わす、天衣無縫であまりに自由な音を奏でる。

13歳で「音楽の神様」に背を向けた「元神童」栄伝亜衣は、さまざまな迷いを抱えつつ20歳でこの世界に戻り、真に音楽と対峙する。

妻子持ちで日々働く高島は朴訥でまっとうな社会人であり、仕事が終わったあとの時間を使い、寝不足に悩まされながら真摯に音楽に向き合う。

マサルはコンサートを最高の競技会と捉え、まるでアスリートのように肉体と精神を鍛え、超絶なテクニックで圧倒的な演奏を披露する。

そして、恩田陸は、わずか2週間の彼らの戦いを、2段組500ページを費やして描き切るのだ。その言葉の力が、何よりすごい。「言葉」というものに、こんなふうに音楽を紡ぎ、同時にここまで圧倒的な物語を構築する力があったのかーー読了後、しばし呆然としてしまったほどだ。本作には「ピアニストと作家は似ている」とあるが、なるほど本書自体が美しく、濃密で強い力を持った交響曲のようでもある。

4人がコンクールで演奏した曲のリストもあり、また見出しは音楽にまつわるものなので、クラシック好き、音楽好きは存分に堪能できるだろう。現代の話ではあるが、私などはアルフレッド・コルトーとクララ・ハスキル、ディヌ・リパッティ、エリック・ハイドシェックらを思い出してしまう。とはいえ、音楽をまったく知らなくても存分に楽しめるはずだ。むしろうよけいな知識がない分、よりこの物語を堪能できるかもしれない。

まさに圧倒的な「文句なしの最高傑作」。あの帯の文言は、たぶん最初にこの本の原稿を読んだ編集者の、心の底からの叫びだったに違いない。