『だから僕は、ググらない 面白い!を生み出す妄想術』浅生鴨著/大和出版

『だから僕はググらない』は小説家として活躍しつつ、広告や他テレビ番組の企画にも携わる浅生鴨さんが書いた本である。

「はじめに」に書いてあるように、この本は、ジャンルで言えば、「発想法」や「アイデア」の本だ。一般に、それらの本の多くには、仕事や人生に「役に立つ」方法が書いているものだが、本書はそうではない。

例えば、本書の第3部には「なぜ?」を繰り返す、やり方が載っている。これは「役に立つ発想法」として有名なものの一つだが、著者の手にかかると、「発想」ではなく、むしろ「妄想」の手段になる。

なぜここにマグカップがあるのか。

それは僕が置いたから。

なぜ置いたのか。

コーヒーを飲もうと思ったら。

 

そんなふうに「なぜ?」を繰り返していくことで、根本を探るのが、「なぜ?を繰り返す」手法なのだが、著者は、別の「なぜ?」を同時に繰り出してしまうのだ。

 

なぜここにマグカップがあるのか。

それはマグカップを作った人がいるから。

なぜマグカップを作った人がいるのか。

カップを売って儲けようとしたから。

 

さらにもう一つ。

 

なぜここにマグカップがあるのか。

それは僕が旅先で買ってきたから。

なぜ旅先でマグカップを買ったのか。

旅先のアパートにカップがなかったから。

 

「なぜ?」を繰り返す手法は、物事の根本原因を一つに収束させるために使われることが多い技法だが、ここではむしろ、どんどん拡散していってしまっているではないか。著者は、こんな重層的な「なぜ?」を繰り返すことで「熱いものを持つのは苦手だけど、熱いマグカップを持ちながら熱くないふりをする、演技の上手い子役」を妄想するに至るのだが、こんな妄想がビジネスに役立つことは稀だろう。

ところが、まさにこの妄想こそが、著者の飯の種なのである。妄想することでたくさんのアイデアの種を集め、そのうちのいくつかから芽が出て、大きく育ち、仕事につながるのだ。

“日ごろからなんの役にも立たないことを一生懸命に考える。

おかしな妄想を繰り返す。”

と著者は書くが、そういう日常を送っているからこそ、それらがあるとき役立つ。さまざまな広告や小説という成果物になる。

妄想ぐらい、誰でもできるし、ふだん結構している、と思うかもしれない。しかし、著者は、われわれのように、ただ漫然と妄想しているのではない、彼は、常日頃から、しっかりと、徹底的に妄想しているのだ。例えば、「台風一過の青空」と聞いたとき、頭の中に「台風一家」を思い浮かべる人は多いと思う。しかし著者は、それだけでは終わらない。

“妄想癖のある僕はそこからが長い。

いつのまにか、家族構成を考え、仕事や学校について考え、家族の会話を考え、台風一家ならではの悩みはないだろうかと考え始めている。”

といった具合。本書には「台風一家」をめぐるショートショート小説まで載っている。

「ダジャレや言葉遊びであれこれ思い浮かんだら、そこで終わらず、その先をさらにどこまでも考える。やりすぎるぐらい考える」。それこそが、「役に立たないけど役に立つ」、著者の妄想法なのだ。

この本には、そんな徹底した妄想をするための方法がいくつも載っている。

例えば、無関係の単語をふたつ並べてその因果関係を想像してみる。接続詞の順接(だから等)と逆接(しかし等)を交互に使って延々と物語を作る。一般に広く普及しているものが「もしなかったら?」と考える(もし郵便ポストがなかったら?

もしサッカーがなかったら?)。普通の文章の語順を入れ替えて(例えば「お客が代金を払う」→「代金がお客を払う」)、そこに立ち現れる世界を妄想してみる。いずれも実践してみると、すごく楽しい。

そして、著者は、その妄想を、書き、声を出して読み、人に話して意見を聞く。そしてアレンジし、削り込み、ついには、広告やテレビ番組、小説などの形にしていく。しかし注意しなければならないのは、あくまで、出発点は「役に立たない妄想」であるということ、最初からビジネス上のアイデアをひねり出す、という野心を持って妄想をしていては、逆に著者のような結果を出すことはできないだろう。

ただし、実践してみれば、そんな野心は吹っ飛んでしまうかもしれない。とにかく妄想することが自体が楽しいからだ。徹底して妄想し続けることを、ただひたすら楽しむ。その面白さと技法とを教えてくる本である。