第1回 プロローグ~企業の広報とは

「雑誌記者」という仕事について書きなはれ、との編集人の仰せである。
日経ビジネス、週刊ダイヤモンド、週刊東洋経済といった「経済誌」の内幕は、さほどの興味を惹かれるテーマでもないせいか、ほとんど知られていない。しかし、四半世紀近くも同じ仕事を続けていると、ちょっと信じがたい経験も多々するし、政財界の裏話もいろいろ耳に入ってくるものだ。

なにしろ、これまで貰った名刺の数が3万5千枚に近い。新入社員の時代からお付き合いを頂いている方々も何十人、何百人といらっしゃる。その昔は「課長」だった知り合いが、今では「社長」「頭取」といった肩書きになっていることもある。そりゃあ、親しくもなるし、「ここだけの話」を打ち明けてくれる道理でもある。

「ここだけの話」なので、本来は書いちゃいけないわけだが、もう時効だからいいだろうってものもあるし、固有名詞を伏せて書くという手もあろう。四半世紀の取材経験を通じて見聞きしてきた政財界の「ちょっといい話」をご披露しようという、そんな趣旨の連載である。何回続くのかわかったものではないが、どうかひとつ辛抱強くご一読を願いたい。

この世界に入ったのが1987年。「新人類」と呼ばれた世代である。書いていて思ったのだけれど、「新人類」なんて死語だよね。十何年か前に、知り合いのライターが「サラ金」と原稿に書いて、編集者に「消費者金融」と手直しされたことがあった。怒ったライターが「俺はどうでもサラ金にこだわる」と主張したところ、編集者は「わたしは辛うじて知っているけれど、今の若者にはサラ金という言葉自体がわからない」と返されて茫然としたそうである。時の流れはかくも激しい。

いきなり話が大きくなるが、インターネットと携帯電話の普及は、人類史上類を見ない変化をもたらした。ビジネスマン一人ひとりは、その変化を自覚的に意識してはいないかもしれない。というより、いないだろう、きっと。しかし、インターネットと携帯電話による生産性向上は、ヒトによっては明らかに情報処理能力・容量の限界を超えるものであり、うつ病や自殺が増えている一因でもあろうと強く感じる。この点については、雑誌編集の仕事にも関わるところが少なくないので、稿を改めて論証してみたい。

大きく言えばそういうことだが、経済誌の仕事という小さいところでも様々な変化が見て取れる。1987年当時、筆者の新入社員としての研修期間は3ヶ月あった。最近は3日だそうな。昔は経済誌の編集部に配属されれば、退職するまで同じ記者というキャリアが普通だった。昨今は出版(単行本)、営業セクションとの人事交流は当たり前になっていて、10年、20年という取材先との人間関係構築が難しくなりつつある。

一昔前、部下から「なかなか取材のアポが取れない。どうすればいいんでしょう」と相談されたことがあった。訊けば、担当企業の広報部の仕切りが厳しすぎるのだという。リクエストした取材のほとんどがブロックされ、「その件については、こちらでレクチャーさせていただきます」と広報部がしゃしゃりでてくるらしい。

人脈ができてくれば、なにも広報部などに頼る必要はないのだが、なるほど新入社員には酷だろう。バブルの時代には、たとえ駆け出し記者であっても、「この役員に会わせてください。名目? 挨拶ってことにしといてよ」で簡単にアポは取れたものだ。酷い会社になると(名前は誰でも知っている大企業である、念のため)、「あ、その役員なら電話番号教えますから、直接かけてみてください」という広報担当者すらいた。これにはさすがに呆れたが、取材する側にとっては天国みたいな時代である。

広報部というのは、意識の高い一部の大企業は例外として、かつてはダメ社員の吹き溜まりのようなものだったのだと思う。言い過ぎかな。でも、社内不倫で異動させられてきたらしいよ、なんて知り合いは結構いた。それがバブル崩壊を経て、大企業の破綻や不祥事が露呈してくるにつれ、マスコミ対応が不可欠となり、いきおい広報部の位置づけも高くなってきたということなのだろう。今や広報部といえばエリート社員の精鋭部隊である。「直接かけてみてください」から「こちらでレクチャーさせていただきます」の変化はあまりにも大きい。

変化といえば、よく指摘されることではあるが、多くの大企業が「コンプライアンス」(法令遵守)という大義名分の下で萎縮してしまっている。
守りばかりで攻めの姿勢が見えてこない。

証券会社の知り合いがコンプライアンス部門に新商品企画を持ち込んだところ、

「あ、困ります困ります」
「え、まだ何も言ってませんけど」
「あ。そうですね。でも困ります」

というやり取りが実際にあったそうな。

広報部の強化も同じ文脈であろう。「攻める広報」ってのは、あまり聞いたことがない。取材する側から見ても、何かと世知辛い、ツマラナイことになってしまったものである。

しかし、バブル時代の大企業はこうではなかった。まだまだアニマル・スピリッツが横溢していた(悪く言えば、コンプライアンスなど屁とも思っていなかった)。なかでも筆者が当時担当していた証券業界はウハウハ、ブイブイのめくるめく世界で、それだけで1冊の本にまとまろうというくらいのエピソードが満載である。前置きが長くなったが、そういうわけで次回は「バブルにまみれた大手証券会社」について書いてみたい。

【北井富士男】
経済ジャーナリスト。著名経済誌に配属されて以来、約25年間にわたり記事取材・編集の仕事一筋。その間、国内外ほとんどの経済人・財界人に対する取材経験を持つ。

現在はフリーランスとなり、さらなる取材の極みに挑戦し続けている。