第28回 初めて書いた記事、そして編集部点景
歳をとると物忘れが激しくなる、とはよく言われることだが、昔から物覚えがいい代わりにスカッと物忘れもする質である。
このメルマガ連載も28回目を迎え、自分で何を書いたのか、すでに忘れつつあるのだから、困ったものだ。
今回は「初めて書いた記事」について記そうと思っていた。しかし、どうも以前に書いたことがあるような気がして、過去のタイトルをザッとチェックしてみた。
タイトルとしては類似記事はなかったものの、どこかでチラッと書いたことはあるかもしれないので、予めお目こぼしをお願いする次第である。
よく酒場で何度も同じ話をする酔っぱらいを見かけることがあるでしょう? あれだと思っていただければよろしい。
入社して3ヶ月の研修期間を経て、経済誌編集部に配属された。
出社時間は9時半である。昨今ではありえないことだが、ほとんどの記者は定時、もしくは10時ごろまでには席について、新聞を読んだりしていた。今にして思えば、よほど仕事(取材)がなかったのだろう(笑)
これまた昨今では見かけない風景だが、庶務の女性社員がお茶を注いで回っていたことを憶えている。筆者のような新入社員にまで、ちゃんと淹れてくれた。
そんなわけで、およそ週刊誌の編集部とは思えない、和気藹々とした雰囲気の中、配属初日に早速声がかかる。
「君、今日は空いてるかい?」
空いてるも空いてないも、初日なのである。何か予定があるほうがおかしいのだが、とりあえず「何もありません」と答えるしかない。
「じゃあね、午後取材に行ってくれないかな。約束はもう取り付けてあるから」
で、有楽町のビアホール支配人に会って、取材してきた(それが「取材」と言えるものなら、だが)。当時、床屋やら靴磨きやらに話を聞いて「景気の実感」をルポルタージュする、1ページの固定欄があったのだ。
取材のやり方も原稿の書き方も、ミソもクソもあったものじゃない。行ってこいと言われて、「明日までに書いてくれ」と指示された。是も非もないので、書くだけは書いた。
驚いたのはここからで(ここまでも十分に驚くべきなのだが)、書いた原稿はそのまま記事になってしまうのである。一字一句違わずに、翌週の週刊誌に載った。
これはもうね、うれしいなんてもんじゃありません。逆に、こんなことでいいのだろうかと心配になってしまった。
新入社員が書いた記事が、たとえ景気実感のような他愛のないものであっても、「商品」として通用するわけがないのだ。
後で聞いたところ、この固定欄の担当者は、相当にサボり癖のある御仁らしかった。取材も自分で行くのが面倒臭くて、こちらに押し付けたのである。挙げ句、書かれたものには全く目を通すことなく、そのまま入稿しちまったというから何をか言わんや。
「サボり癖のある」と書いたが、誰もがサボっていた。当時、編集部には40人からの記者がいたが、20代~30代は数えるほどしかいなかった。ほとんどが40代より上のシニアである。
まだ、大学を出たばかりの身にとっては、等しくとんでもないジジイに見えて、あんなふうにはなりたくないと痛感した。
痛感して何をやったかと言うと、自分も遊び始めたのである(笑)。いや、ここは笑えないところだな。
携帯電話もメールもない時代である。いったん外に出てしまえば、どこでなにをしているやら把握しようがない。
一応、9時半には出社して、すぐに「取材」と称して外出した。そのまま会社には帰らず、夕方になると酒を呑んだ(もちろん、仕事ではない)。
そのうち調子に乗って「直行直帰」になった。会社には立ち寄りもせず、本を読んだり映画を見たり昼酒を呑んだり街なかをふらつき回ったりした。
石の上にも3年、というが、入社してからの3年間、記事らしい記事を書いた記憶がない。短いコラム程度のものは、それでも月に1回くらいは書いたかな。
上司も同僚も、何も言わなかった。心ある先輩からは、時たま苦言を呈されることはあったが、柳に風と聞き流した。
とんでもない新入社員もあったもので、今なら確実にクビになっている。というより、説教すらされない空気を見越してタカを括っていたのだろう。
よく毎週雑誌が出ていたなぁ、と思う。新入社員1人が遊んでいても差し支えなどは露ほどもないが、みんながみんな机の前には座っていたけれど、仕事らしい仕事はしていなかったのだから。
「ホッチキス特集」という言葉があった。週刊誌の看板となる大特集がある。これを複数の記者に「発注」して1本の特集にまとめるのだが、酷い話もあったもので、記者から出てきた原稿をホッチキスでパチンととめて、そのまま入稿してしまうのだ。
分量なんぞも「適当に書いて」とやるものだから、ホッチキスでとめたものは膨大なものになる。合計800行くらいの特集が2倍、3倍になって校正から返ってくる。
隣の席にいた担当者(Sさん、としておこう)が声をかけてくる。
「せっかく書いてくれて悪いんだけどさぁ、これ全部削っていいかな?」
という方式(「方式」と言えるものなら、だが)で、だるま落としのように原稿を削っていく。記者ごとに書き癖が違えば表記も違っているのに編集も何もしないから、出来上がった特集は恐ろしく不統一、不出来なものに成り果てる。
今こうして書いていても、寒気がするほどハチャメチャなものだった。
ちなみに、今は違いますよ、もちろん。うつ病にかかる記者が続出するくらい仕事量は多いし、記事もかっちりきっちり編集されています。念のため。
どうしてマトモになったのか、ということを書き始めると終わらなくなるので、そこは飛ばしてSさんの話に戻ろう。
このSさんという記者は44、5歳だったろうか。隣にいたのだが、なにしろ机の上には電話以外には何もない。本人もいない。
配属されて数日たって、隣にひとがいたときは、そういうわけでびっくりしたものだ。
目つきがやたら鋭く痩身で、ちょっと近寄りがたい感じである。ひとことも口にせずに、届いた郵便物(ニュースリリースの類)をまったく確認することなく、ひたすらビリビリ破り、疾風のように去っていく。
たまさか特集の担当をやらされると、上記のごとく「ホッチキス」で片付ける。凄い男がいたものだ。
こんな職場環境で生まれ育って、会社を辞めて10年たった今でも、なんとかかんとか筆一本で喰えている(「喰えている」という言葉の定義にもよるが)。ということが、我が事ながら実にどうも不思議でならない。
だが、逆説的に言うなら、こんな環境で生まれ育ったからこそ、なんとかかんとか一人前になれたのかもしれないな(「一人前」という言葉の定義にもよるが)。と思うこともある。
そういうわけで、「遊び癖」のある若いやつ(いないんだけどね、今そういうの)に対しては優しいんです、わたくし。
寝る子は育つというが、遊ぶ子も育つと信じている。信じられなければ、自らを正当化できない(笑)。では、また次回!