第23回 「わかっちゃいるけど・・・」

知人にこどもが生まれた。
少子高齢化の進む日本において、まことにおめでたいことです。
しかも彼は、奥様の出産に備えて、予定日の1週間前から禁酒を始めた。
いつ何時、陣痛が訪れても正気で対応するためらしい。

三度の飯より大好きなお酒を奥様とこどものためにきっぱりやめるとは、なんて素晴らしい心がけなのでしょう。
日本男子の鑑です。

それに引き替え・・・と、私は20数年前に同じ職場にいた或る先輩(仮にR先輩)のことを思い出した。

当時、お酒の大好きなR先輩の奥様も出産を間近に控えていた。
が、R先輩は禁酒どころか、連日連夜呑んでいた。
0時前に帰途についたためしはなく、毎晩つきあわされる我々後輩は、
「奥さんが身重なんだから、きょうこそは早く帰りましょうよ」とR先輩を諭すのだが、

いつも答えは同じ。

「わかってる。でも、わかっちゃいるけど、やめられない。ここでやめたら、妻にもこれから生まれてくる誰かのこどもにも申し訳が立たない。」

「えっ・・・!」

毎度「誰かのこども」というからには、R先輩の子ではないのだろう、たぶん。毎度、その答えを聞いて我々も泥酔した。

で、とうとう予想通り(!)、朝帰りしたR先輩と入れ替わりに奥様はタクシーで産院に向かい、ひとりで立派に出産をしたのでした。
(ヒドイ旦那です。一生言われ続けそうなエピソードです)

それをきっかけにR先輩は、きっぱりとお酒をやめた。
ということはなく、その後も呑み続けている。。。

今は亡き植木等さんは、非常に真面目な性格だったために、あの「スーダラ節」を唄うことを躊躇して悩んでいたという。

そして、思い余って浄土真宗の住職だった父親に相談したところ、『わかっちゃいるけど、やめられない』というのは人間の性(さが)であり、親鸞聖人の教えに通じるものだから、大いに唄うべし、と言われて吹っ切れたと伝えられている。
(※植木等さん関係の本に必ず出てくるエピソードですね)

確かに頭では「わかっている」のに「やめられない」ことはたくさんありますね。

◇いわゆる「のむ、打つ、買う」。
煙草を吸う・お酒を呑む、競馬・パチンコ等の博打を打つ(クスリは打ちません!!)、つい買い物をしすぎちゃうという買う(ってことにしておきます)。

◇医者からメタボですよ、と言われているのに、美味しいものを食べすぎる、美味しくなくても食べ過ぎる、もう、なんでもいいから食べたい、頼むから食べさせてくれ!

◇ゲームでの夜更かし、テレビを見ての夜更かし。明日の朝がつらいとわかっているのに。。。

◇試験前日の唐突な読書。なぜか積ん読本を読み始めると面白くて、やめられない。試験勉強より面白い。。。

◇人から止められていること。「芝生に入らないでください」「この部屋の中は絶対にのぞかないでください」「この玉手箱は絶対開けないでください」(じゃあ、お土産によこすなよ)。。。

◇フォカッチャいるけど、ポメラニアン(なんのこっちゃ)

等々、例を挙げ出すとキリがありません。

「わかっちゃいるけど、やめられない」のは人間の弱さなのでしょうか、はたまた本能なのでしょうか?

キッチリした人もたくさんいますから、これは体質かもしれませんね。
かりに「スーダラ体質」としましょう。

※似た体質に「えびせん体質」というのもあります。
こちらの特性は『やめられない、とまらない』というもので、「スーダラ体質」の上位に存在します。
「わかっちゃいるけど、やめられない」に、さらに拍車がかかって「とまらない」。
良いことなら問題ありませんが、たいていは「やってはいけないこと」がやめられないし、とまらないのです。

人間の性(さが)全開ですね。
だから法律があって、倫理道徳があって、娯楽があるのでしょうね。

「スーダラ体質」も「えびせん体質」も良いことに対して発揮できればいいですが、人は往々にして、良いとわかっていることは続かない、のです。

例えば、毎日のジョギング、一日15分のエクササイズ、一日30分の英語のヒアリングなどなど。

「継続は力なり」というのは、継続できないから生まれた言葉なのでしょう。

私も外国の人と英語でコミュニケーションを取れたらいいなと40年くらい前から思っていますが、一向に叶う気配はありません。
毎月一冊以上は、「あなたも今日からネイティブだ」とか「これであなたも英語で恋愛できる」とか「26語で話せる英会話」といった本を買っているにも関わらず、英語ができません。
たぶん、本を買うだけで、まったく読まないからでしょう。
継続的に勉強しなきゃいけないのは「わかっちゃいるけど、続かない」のです(スーダラ体質もどき)。

先日、本家アメリカのアマゾンからKindle3(電子書籍を読むための機器)を個人輸入してみました。

注文から4日ほどで手許に届いたのですが、なんと残念なことに初期不良でディスプレイがキレイに映りません。
しょうがないので、アマゾンのサポートセンターに電話をしてみました。
サポートの人が日本人ならいいなぁ、と思っていたら、
案の定、電話の相手は気立ての良いネイティブの若者でした(たぶん)。

私:”Hello! Japnese speaker, Please!”(取りあえず叫んでみる)

若者:”・・・Akai? Sony?”(それは日本製スピーカーだ)

私:”My Kindle is not beautiful.”(なんのこっちゃ)

若者:”What? ○%×$¥△&#$”

私:”Beg your pardon”(古い言い回しです・・・)

若者:”○%×$¥△&#$”

私:”・・・・・・・・・・・・・・・”

(この場合は英語が「わかっちゃいないので、続かない」のです)

自分が、英語ができないのを、「スーダラ体質もどき」といって誤魔化そうとしましたが、結局、「(英語の必要性を)わかっちゃいるけど、(勉強が)続かない」というのは怠惰なだけなのです。

f0910

※Aさんから「マイケル・ジャクソン スーダラ節」という【YouTube】が面白いという話を聞いて、観てみたら、なんとも面白くて、今回の哲学的思考に及んだ次第です(嘘)。

※※著作権的にどうなのか不明なので、URLは書きません。興味のある方は「マイケル・ジャクソン」「スーダラ節」でググってみてください。