第28回 「鬼に笑われないための八か条」

「二月逃げていく」

よく聞く言葉ですね。
たいていの場合、「一月行く」「三月去る」とセットになっています。
年始から年度末の慌ただしさをこう表現するのでしょう。

二月の場合は、もともと他の月より日数が短いです。
加えて、一年のうちで最も寒さの厳しいこの時期は、体が萎縮し身体機能も低下することから、動作が緩慢となり、相対的に周囲の時間の進み方が早くなります。

いわゆる寒冷期特殊相対性理論の効果なのです。

また、月の真ん中にバレンタインデーという歴史の浅いイベントがあることも二月を短く感じさせる要因となっています(歴史を重んじるワタシには、まったく関係のないイベントではありますが)。

何も貰える可能性がないのに浮き足立つ男性、誰に渡す予定もないのにチョコレートの選択に迷う女性、取りあえず何かを売ろうという業界。

これらの思惑が三つ巴となり、二月の前半はあっと言う間に過ぎていきます。

そして2月14日の翌日から漂う喪失感と虚無感・・・。
「二月なんて無くなってしまえ!」と河原で平たい石を選んで水切りに没頭したあの日・・・(って、何を回想してるのでしょうか)。
いわゆる慢性思春期疑似恋愛症候群の影響なのです。

そんな短い二月ではありますが、特記すべきは「節分」の存在でしょう。
そもそも節分は年四回(立春、立夏、立秋、立冬の前日)あるのですが、今や立春前の節分こそが「節分」と呼ばれ、日本中でその土地固有の行事が営まれています。

最近、全国区となってきた行事(?)が「恵方巻」です。
関西の方には馴染みが深いのでしょうが、それ以外の地方では、20世紀の終わりくらいからコンビニの宣伝により全国に広まってきたようです。

夏場の売上を支える土用の丑の日の鰻のように、冬場のコンビニの売り上げを支えるのが「恵方巻」と名付けられた太巻きなのです。
今や、海苔巻きだけでなく、コロンやプリッツ、うまい棒にスティックパン、堂島ロールにコレステロールなど、長いものならなんでも恵方を向いて一気食いです。

酔っぱらいなら、チーカマ(おかまバーのチーママじゃなくって、「チーズかまぼこ」です)を「恵方巻」に見立てながら、ワンカップを一気飲みする「恵方呑み」。
そのまま恵方に一気に倒れる「恵方酔い」。
ちょっと振り向いてみただけの「恵方人」などなど「恵方巻」文化の全国的広がりには目を見張るモノがあるのです。

対するに節分の伝統行事の代表は「豆まき」です。
豆をまいて、自分の年齢の数だけ豆を食べることによって、邪気を払い一年の健康を祈念するのです。(「魔滅(まめつ)」あるは「忠実(マメ)で達者に」の意)年齢を誤魔化して、豆の数を少なめに食べる人は、健康を損ないバチが当たりがちですから気をつけなければいけません。

豆をまくときの掛け声は、ほぼ全国共通で「鬼は外、福は内」です。
地方によっては「福は内、鬼も内」「福は内、鬼は嫁」「オレは内、外に出たくない」など歴史に裏付けられた掛け声もあるようです。

豆をぶつけられる側の鬼ですが、広辞苑によると語源は、「隠(おに)」で姿が見えないというところから来ているようです。

そこから、鬼には、得たいの知れない怖いモノ、激しく度を超しているモノ、抜きんでているモノ等の意味が付加されました。

その用例をあげると、

◆「吸血鬼」「白髪鬼」「緑衣の鬼」「孤島の鬼」
(って、全部、江戸川乱歩の小説だった・・・)。

◆「ゲゲゲの鬼太郎」
(女房が超有名になったが、もちろん、鬼太郎の女房ではない)

◆「鬼盛り」
(度を超した化粧なのか、ファッションなのか、あるいはご飯の大盛りの倍
の量なのか?)

◆「鬼婆」「鬼嫁」
(人間?化け物?うちの・・・・・・、ごめんなさいm(_ _)m)

◆「仕事の鬼」
(仕事が終わるまで、家に帰してくれない上司のこと。・・・違うか?)

◆「心を鬼にする」
(「おい、そこの町娘、悪いようにはしないから、こっちへ来い。心を鬼にして可愛がってやるぞ」という時代劇での誤った使用例。
もちろ ん悪いようにしか、しない)

ところで、もともと見えない鬼の姿が、頭に角を生やし虎皮のパンツをはいただけで皮膚が赤や青のサイケな原色の大男だと誰が気づいたのでしょう?

桃太郎、一寸法師、サラリーマン金太郎、小太り爺さんなど、諸説あるようですが、有力なのは「泣けた赤鬼」と親交のあった近所の村人説のようです。

そもそも、離れ島や山奥に棲んでいて、原則として人前に出ないというセキュリティーポリシーを持っている鬼が、わざわざそのコンプライアンスに反して、村人とコミュニケーションを取ろうとしたのが、鬼の姿を広く知らしめるきっかけとなったようです。

出たがりのその赤鬼は、最近ではFacebookに写真入りの実名登録もしているようです(いいね!)。

その「泣けた赤鬼」が哀しい理由は、子どもの頃には気がつきませんでしたが、最近になってようやくわかりました。

赤鬼が人間と仲よくなるために、友だちの青鬼を乱暴ものに仕立てて退治するという過程が、友だち(青鬼)への背信行為であるのみならず、青鬼と組んだ芝居はペテンで八百長に他ならないからなのでした。

「まっすぐ当たってから、右に変わって、左虎皮パンツを下手で差すので、よろしく」といったメールで事前に打ち合わせをする行為はいただけません。土俵の鬼も黙っていません。

そして、「鬼の自粛・奨励八か条」が通達されたのでした。

【鬼の自粛・奨励八か条】

1.社会貢献活動、ボランティア活動は積極的に行う
(秋田のみならず、全国で「なまはげ」活動)

2.各鬼主催のパーティー、桃太郎への集団示威行動などは自粛する
(パーティー券の販売の自粛、三途の川の渡り賃規正法の遵守)

3.摂生と節制を心がける
(暴飲暴食夜更かしはしない、徹夜のモンハンはしない・されない・参加しない)

4.「鬼として、皮パンツをただして、自分たちのあるべき姿をしっかりと鏡で見定め、新しい時代になっても古式ゆかしい道を進んでいかなければいけない」ということを自覚する

5.門限を定め、厳守するように徹底する
(お天道様のあるうちは出かけない)

6.鬼を志した初心に返って、日々努力しよう
(鬼コーチ、星一徹や車周作の教えを忘れない)

7.「常に人に見られている」という認識を忘れず、責任を持った行動を心がける
(後ろ指をさされないようにする。後ろの正面誰かを確認する)

8.誠実な心を持って、規律ある行動を取る
(鬼ごっこのときや、かくれ鬼のときは、きちんと10まで大きな声で数える)

鬼も、いろいろ努力をしているようなので、ワタシも人の道にはずれないようにしたいと思うのです。
(と書きつつ、すでに締切を越えて鬼の、いえいえ、仏の編集長に待っていただいているのでした・・・)

※「泣けた赤鬼」「鬼の自粛・奨励八か条」ともにタコザンギの想像の産物です。

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