第35回 ネタがない話 

秋です。
秋といえば「さんま」です。(相変わらず強引な展開です)

「あはれ秋風よ情(こころ)あらば伝へてよ男ありて今日の夕餉にひとりさんまを食らひて思ひにふけると。・・・・・・・・・・・」

ご存じ佐藤春夫の「秋刀魚の歌」の冒頭部分です。

そして終わり近くの

「さんま、さんま、さんま苦いか塩つぱいか・・・・・・・」

このフレーズはきっとどこかで見聞きしたことがあるでしょう。

この部分だけ繋げて見ると、もてない独りものの男が夕食に秋刀魚を食べつつ、愛しい女性に思いを寄せている。という何となくユーモラスで穏やかな秋の食卓風景を連想してしまいます。

でも、この詩の全篇を読み通すと、男女の関係のただならぬ様相が浮かび上がってくるのです。

もてない男がのんびり秋刀魚を焼いているわけじゃないんですね。

実は、作者・佐藤春夫が先輩と慕っていた谷崎潤一郎(「細雪」「春琴抄」等でお馴染みの文豪です)が夫人に飽きてしまって(!)冷遇していたところ、佐藤が谷崎夫人に接近して親密になってしまいました。

そうなると谷崎は面白くない。

最初は谷崎も佐藤に奥さんを譲ろうか(!)と思っていたけど、「別れるのはやーめた」と急遽縒りを戻して、佐藤と絶交してしまいます。

その絶交期間中に、谷崎夫人を想って書いたのが、「秋刀魚の歌」というわけです。(講釈師、見てきたような嘘を言い)

佐藤は、この詩の他にも谷崎夫人を慕う詩をいろいろと発表し続けたので、さすがの大谷崎も嫌気がさして、6年後に奥さんを佐藤に譲ってしまうのでした。

さすが変態的作品の多い大文豪だけあって、実生活も無茶苦茶です。(私生活がまともな一般人が、文学史に残る小説など書けるわけはないのですね)

佐藤春夫のように恋文を作品にして発表してしまう例は他にもたくさんありますね。

たくさんありすぎて書きませんが(実は咄嗟に思いつかなくて書けませんが)、一つだけ例をあげるとしたらジンギスカンでしょうか?

【注意:以下、ある推理小説のネタバレです。その推理小説を読んでいない人は飛ばしてください】

源義経が、自分の死を偽装して兄頼朝から逃れて、北海道を経由して大陸に渡り、ジンギスカン(チンギスハン)と名乗ってモンゴル帝国を打ち立てたのは有名な歴史的な事実です。

しかし、当初、義経の目的地はモンゴルではなく、金鉱のあるシベリアだったことはあまり知られていません。

なぜ、モンゴルに変更になったのか?
それは北上途中に、北海道・札幌のビール園で焼いた羊肉を食べたことが原因でした。

若い頃は牛しか食べたことのないので、牛若丸と名乗っていたこともある義経は、初めて食べる羊肉の美味さに驚き、しばらくビール園に留まり、毎日、焼き羊肉を食べ続けたのでした。

しかしながら当時、中央アジアから密輸していた羊肉の在庫はわずかで、生ラム肉は3日で底をつき、冷凍マトン肉もその後2週間で食べ尽くしてしまいました。(余談ですが、生ラムを食べた義経が「生ラム美味い」と叫んだ言葉が、「なまら美味い」と聞こえたことから、北海道では「非常に」という意味で「なまら」という副詞が定着したのです)

ちょうどその頃、義経を慕う静御前が、都で詠ったとされる和歌が北海道にも口伝えで辿りつき、義経の耳にも届いたのでした。

その和歌は「しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」というもので、羊肉がなくなって、途方に暮れる義経と「なすよしもがな」という心情は一致したのでした。

さすがは、「想い想われ振り振られ」です(なんのこっちゃ)。

そして義経は、「なすよしもがな」などと言っている場合ではない。

羊肉がないなら中央アジアで調達するまでだ。と、兵を整えると、羊肉を焼いていた鉄鍋を兜代わりに頭にかぶり、名を「成吉思汗(なすよしもがな)」と改め、中央アジアを目指したのでした。

その後の義経の躍進は歴史の伝えるとおりですが、「成吉思汗」が彼の地で「ジンギスカン」あるいは「チンギスハン」と呼ばれ、北海道の焼いた羊肉料理が「ジンギスカン」と命名されることは、義経にとっては知るよしもがな。

なお、義経の生存を知った頼朝は、北海道まで追っ手を放ちましたが、すでに義経の姿はなかったため、その腹いせにビール園を閉鎖してしまいました。

そのため、焼いた羊肉料理を再び食す日がくるまで800年近い歳月を待たねばならなくなったのは、歴史の悲劇と云えましょう。

【以上ネタバレですが、ネタもとの『成吉思汗の秘密』(高木彬光著)の内容とは殆ど無関係です。高木先生ごめんなさい】

秋のさんまの話をしようと思ったのですが、例によって、まったく話が脱線してしまいましたので、戻します。

さんまは七輪でモクモク煙をあげながら、焼いて食べるのが美味しいです(殿様も「さんまは目黒にかぎる」と言ってますし、明石家のさんまも美味しいのです)。

しかし、最近では非常に活きの良いさんまが流通していますので、生さんまも美味しいのです。

お寿司屋さんで食べる生さんまの握りは旬の代表的な味覚となっています。(もちろん廻るお寿司屋さんでしか、食べたことはありませんが)

つい先日も友人のSと、近隣では美味いという評判の回転寿司屋さんに出かけました。

店の前には「生さんま」の幟が並び、店の中では、席が空くのを待つお客さんが並んでいます。大繁盛です。

「歯舞とれたて生さんま、脂がのって美味いよ!」回転つけ台の中のお兄さんも威勢よく叫んでいます。

歯舞の一本立ちさんま、といえば関サバや伊勢エビ、日高昆布などと並ぶブランドです。いやがうえに期待が高まります。

待つこと小一時間。ようやく席に着くことが出来ました。

「とりあえず、生さんま二つ!」と言うと同時に目の前の握りのお兄さんが調理場に向かって「さんま、ヤマ!!」。
そして、こちらを向いて「すみません。本日のとれたて生さんま、終了です」。

「えっ」と絶句していると、
隣のSが「ネタがないならしょうがない。じゃあ、生あじと活ほっき」と言いつつこちらに向き直り、
「昨日、中途採用の面接をしたんだけど、今どきは変わったヤツがいるね」と言いだした。
「それは、ネタか?」と自分。
「大したネタではないけど、ちょっとビックリした話なんだ」とS。

Sが言うには、Sの会社で求人広告をしたところ、たくさんの応募があった。
その中の一人(仮にAくん)から送られてきた履歴書の写真がどうも変だ。
肩の素肌が見えている。

どう見てもタンクトップ姿の写真だ。

この段階で、不採用にしようと思ったが、募集時に書類選考なし、全員必ず面接をするとうたっている。

気がすすまないけれど、Aくんに面接連絡の電話をしてみた。
すると意外なことに電話口のAくんは口調が礼儀正しい。しかも正しい敬語で受け答えをする。

もしかすると、本当は良い青年で、履歴書の写真には何か深い理由があるのではないだろうか?

そして、昨日、面接の時間ピッタリにAくんは現れた。予想外に、というか普通にスーツ姿だ。

Sは一人でAくんを面接部屋に迎え入れると、Aくんは深々とお辞儀をした。
腰からしっかりと上半身を折り曲げて。

たぶん分度器で測ると、1度の狂いもなく正確に90度に違いないと思われる。長友並のお辞儀だ。

しかし、不思議なのは、正面のSより右手に向かってお辞儀をしていることだ。

そして、椅子に着席するとSの右側の空間に目を据え、自己紹介を始めた。
まるで、その空間に面接者がいて、Sが存在していないように。。。

「それでどうした?ネタか?」と自分。
「いや、こんな中途半端なネタはないだろ」とS。

「タンクトップの写真の件は確認したのか?」と自分。
「うん。。。でも、ここでは言えない」
「え?」

その時、目の前の握りのお兄さんが「お客さん、昨日のとれたて生サンマなら、あるんですが。。。いかがですか?」と訊いてきた。

今月の結論『今年の秋もミステリアスだ』

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