『樽とタタン』。フランスの焼き菓子タルト・タタンと同じ響きを持つ題名の、連作小説集である。

19世紀後半、フランスのちいさな町Lamotte-Beuvronに、ステファニーとカロリーヌのタタン姉妹が経営する「タタン」というホテルがあった。その厨房でアップルパイを作ろうとしていたステファニーは、リンゴを炒めているときに火を消すのを忘れ、長く炒めすぎるという失敗をした。リンゴは濃い飴色になってしまったが、彼女はその炒めすぎたリンゴが入ったフライパンにタルト生地をかぶせ、オーブンで焼いた。

そして焼き上がりをひっくり返してみた。見た目もよく、味も素晴らしい。そうやって、フランスを代表する焼き菓子が誕生したのだ。

……というタルトタタン誕生物語は本書にはあまり関係がない。舞台は日本の、赤く塗られたコーヒー樽がおいてある喫茶店。その樽のなかに入り込んでじっとしている小学生の女の子に、喫茶店の常連の老小説家がこんなふうに声をかける。

「いつも樽といっしょにいるんだね。樽とおまえさんは一心同体だね。樽といっしょなら、タタンと呼ぼうかな。樽とタタン、いつもいっしょ。おまえさんには姉さんが妹がいるだろう?」

大正生まれの老作家はタタン姉妹のことを知っているようで、こう続ける。「そうだ。タタンは姉妹なんだ。お菓子を作るのがうまいんだ。失敗作すらうまいんだ」

以来、この女の子はタタンと呼ばれるようになる。タタンは喫茶の常連や突然やってくる人をじっと観察し、その言葉に耳を澄ます。あとは焼き菓子の話は登場せず、人間たちの話となる。

喫茶店にやってくる人たちはいずれも風変わりだ。2038年からやってきた未来人だという中年女性は、世界を救うだいじな使命を背負って来たのに、それを忘れて途方に暮れている。ある女性が店の常連の歌舞伎役者の卵と恋仲になり、その女性の夫が店にやってくるが、彼は自分は吸血鬼だという。そればかりか、タタンに向かって「しゃーっ」と声を上げ、威嚇する。

日本に住み着いたサンタ・クロースも喫茶店にやってくる。サンタとしてもミッションをこなすために秋田に出かけたとき、なまはげが彼の心を捉え、そのまま日本に居着いたのだ。彼は「しもやけと友だちになる」独特のやり方をタタンに教えてくれる。

喫茶店に近い研究機関で「サケウシ」を研究している生物学者は、白くてぬるっとして手の先にいぼのある別種に生き物と恋に落ちたこと、そしてその苦悩について、タタンに語る。

タタン以外の登場人物たちが話すのは奇想天外な物語だが、それを聞くタタンの日常は淡々と過ぎてゆく。他の中島京子作品同様、言葉とそれが発せられるときの音の扱いが見事であり、それらによって、ひとつひとつの物語が繊細で美しいものとなっている。

一番日常に近いのは祖母とタタンの話。まだ小学生になって喫茶店の樽の中に入り込む前、まだタタンになる前の話だ。二人はときどき散歩に出かけ、公園でブランコに乗り、この喫茶店で休んだ。祖母はコーヒーを、女の子はホットミルクを飲みながら。

祖母はこんなふうに言う。「おれは、死んだらそれっきりだと思ってる」「人が死ぬだろ。そうすると、人はもう、そのときに、電気が消えるみたいに、気持ちや痛みやなんかも全部ぱっと消えて楽になるんだ」

と同時に、太平洋戦争のとき南方の戦地から帰らなかった次男マサオのことを話しつつ、自分の胸を指してこうも言う。「死んだら、ここんところへ、ぴっと入ってくんだ」。死者は消えるが、生者の心に入り込む、というのである。

物語も、死者に似ていると思う。そして中島京子は、人々が織りなす「ぱっと消えて」しまいそうな物語を掬う作家だ。それらの物語は読者の心に「ぴっと入り込み」、読み手の心と人生を豊かにする。

 

中島京子『樽とタタン』新潮社/1400円