『日本酒テイスティング』(日経プレミアムシリーズ)

最近、若い女性を中心に何度目かの日本酒ブームが到来しているそうだ。そんななか、入門ガイド本もいくつも出版されている。

そういった本の多くは、全国の日本酒銘柄を紹介した「おいしい日本酒カタログ」的なものか、米の品種名、精白度などの基礎知識や蔵元のさまざまなエピソードが記されたいずれか、あるいは、その両方を掲載したものだ。

前者は、日本酒購入時に役立つ実用性があり、また掲載されている全銘柄を制覇する「スタンプラリー的な楽しみ」もある。一方、後者は、その酒ができるまでのストーリーや文脈を知ることで、飲む際の楽しみを一層増幅させてくれる。「人は情報を味わう」と言われるほど、美味しさの感覚は情報に左右されるものなので、酒がよりいっそうおいしく感じられるという利点もあるだろう。

しかし、コンラッド東京のソムリエで2014年の世界利き酒師コンクールで優勝した北原康行さんの『日本酒テイスティング』は、そういった既存の本のパターンをまったく踏襲していない。新書という体裁でありながら、日本酒の味と香りに、極めてストイックに、真正面から向き合っている稀有な本なのである。

本書がまず着目するのは地域。全国を「北海道・東北」「新潟・北陸三県」「関東甲信・静岡」「岐阜・愛知・近畿」「中国・四国」「九州」のエリアに分け、エリア別の特徴を書く。これに「大吟醸」「純米吟醸」「純米酒」「本醸造」といった、日本酒のタイプごとの特徴を組み合わせ、さらにこれらの情報をもとにしつつ、香りの高低、味の濃淡を意識して味わうことで、それぞれの日本酒がどんな酒であるかを見定めることができるというのだ。

もし書店で本書をパラパラめくって取り上げている日本酒の銘柄をチェックし、「なーんだ、知っている有名なお酒が多いな」とか、「自分好みじゃない酒が結構載っているな」などと思うかもしれないが、そのまま本を閉じないでほしい。それらの日本酒は、各エリアの特徴を持つ、代表的な酒を、その味と香りを学ぶために取り上げられているのであり、この本は著者が自分好みの酒を読者に教えてくれる銘酒カタログのような本ではないのだ。

各エリアの代表的な酒や特徴のわかりやすい酒を取り上げ、論理的かつ客観的に分析することで、日本酒を理解する基礎的な能力が磨かれ、その結果、自分の力で自分好みの酒を見つけられるようになる、というのが本書の目指すところなのだ。

こう書くと学習参考書のような生真面目な本と思うかもしれないが、読み物としても面白く作られているので安心して欲しい。特に日本酒に合う料理の話は意外性があって興味深い。

もしあなたが、居酒屋や蕎麦屋で一杯飲むことを好むような、昔ながらの日本酒好きだとしたら、刺し身を塩だけで味わい、ワイングラスで冷酒を楽しむ著者の”意識高い系グルメ”っぷりにはちょっと引いてしまうかもしれない。
しかしそれもよく読めば、著者の日本酒に対する愚直とも言える真摯さから生まれたものだとわかり、むしろほほえましく感じるのではないだろうか。

著者によれば日本酒のテイスティングはワインより難しいそうだ。ワインは、その土地の葡萄で作られ、その土地のテロワールを反映する。しかし、日本酒は他の地方の米で作られることも多く、酵母も日本醸造協会が管理しているものを使う。さらにワインが基本的に地元のぶどうだけから作られるのに対し、日本酒には地元のものかどうかわからない米、麹、そして水(水は大抵は地元の湧き水だろう)、酵母、場合によっては醸造用アルコールも加えるので、日本酒が作られた地域の風土が反映されづらいのだ。

とはいえ、最近の若い醸造家には地元の米を使い、その酒を産んだ風土を反映することを意識している人も多い。そんなふうに日本酒がテロワールを意識し始めると、日本酒の世界はますますおもしろくなってくるに違いない。

ただし、「風土がわかりにくい」現状においてさえ、本書に真剣に向きあえば、風味を分析しつつより日本酒を豊かに味わえるようになれるのは間違いないだろう。私も早速日本酒を買い込んで本書に倣ってテイスティングを試みたが、なるほど、こんなふうに日本酒を明晰に捉えることができるのか、と感心した。もちろん、盃を重ねるうちに明晰は酩酊へと至り、ただの「家呑み」と化して味も香りもなんだかわからなくなってしまったことは言うまでもないが……。