『いま、ここで輝く。超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室』 おおたとしまさ著

まずはこの記事を読んでほしい。

『奇跡』が起こる名もない教室。超進学校のカリスマ数学教師の壮大なる実験

教育関係者の間でも大いに話題になった、神奈川の進学校・栄光学園の「カリスマ数学教師」井本陽久が校外で開いている「名もない教室」に関するレポートだ。

今回ご紹介するのは、この教室のレポートを含め、学校の授業やこれまで生き方をまとめた本『いま、ここで輝く。』(おおたとしまさ著)だ。実はこの井本陽久は、私の中学・高校の同級生で、この「名もない教室」には、私も関わっている。ちなみにその後、この教室に名前をつけたが、その命名者は私の小学5年生の娘だったりする(だから「いもいも教室」というかわいらしい名前なのだ)。私自身も著者のおおたさんに取材され、この本の中にも登場してもいる。

つまりは身内の本なのだが、改めて読み直すと、本当に素晴らしい内容で、改めて自分の教育観が大きく揺さぶられるほどなのだ。なんの宣伝もしていないのに、すでにamazonの総合ランキングでベスト5まで入ってしまったのは、やはり、今の教育に閉塞感があり、それに風穴をあける「新しい教育」が求められているからなのだろう。

私自身、教育について問題意識を持っていて、井本(同級生なので呼び捨てです)に連絡を取ったのが、そもそもこの教室に関わったきっかけだ。実は、そのときの私が求めていたのは「どうすれば子どもたちを成長させることができるか」というHowの部分、つまり方法論であったのだが、井本はそもそも教育における「方法論」自体に興味を持っていない(もちろん、授業にはさまざまなテクニックが必要だろうし、その点でも井本は経験に根ざした卓越したものを持っているのだが……)。成長させるのではない。「ありのままの彼らを心の底から認めれば勝手に成長する」と言う。それどころか、「成長なんてどうでもいいじゃん」とも言い切ってしまう。

この言葉は衝撃だった。多くの親は「教育は、将来、自分の子が苦労せず、安定したしあわせな生活を送れるようにするためにやるもの」と思っているはずだ。そして、教育する側も「今我慢させてでも○○をすれば、将来こうなれる」という論法で日々の授業を行っている。そして今、その「将来」が非常に流動的で、先が見えず、不安だからこそ「新しい教育」がブームになっているともいえるだろう。

だから教師が「成長なんてどうでもいい」と言ってしまうのは、それこそ大きな反発を招きかねないことだと思う。しかし、実際のところ、わたしたちの多くは「我慢して〇〇しても、必ずしもそうはなれない」ことを経験として実感している。そして「我慢して〇〇したら、こうなれる」という論法が、どれだけ多くの子どもを追い込み、傷つけてきたのかを、井本は身を持って知ってもいる。とにかく子どもが大好きで、いつでも生徒たちのことを考えているからこそ、井本は「成長なんてどうでもいい」と強く思い、言い切るのだ、と思う。

その「成長なんてどうでもいい」という言葉には続きがある。それはこの本のタイトルにもなった「いま、ここで(子どもたちが)輝く」授業を行うことだ。先の見えない未来を勝手に想定して、我慢させるのではなく、今、この瞬間に子どもたちがみずから躍動するような授業を行う。それは何より、生徒たちのありのままの姿を心の底から認めることからしか始まらないのだ。

優秀な進学校の生徒を相手にしているから、そういうことが言えるのではないか、と言う人がいるかもしれないが、井本は、福島県飯舘村の飯舘中学校やフィリピン、セブ島の公立小学校、児童養護施設などでも授業を行っている。そこで、まさに子どもたちが生き生きと躍動し、驚くほど集中して熱心に課題に取り組む姿を私も目の当たりにしたが、それは感動的なほど素晴らしいものだった。

言ってみれば太陽のような先生だ。「子どもたちをこんなふうにしてやろう」なんて意図はなく、わけへだてなく愛情を注ぐ。井本からの「承認」という日差しを浴びた子どもたちは、リラックスし、ただ伸びやかに、ありのまま、自分自身のままでいることができる。

井本が主宰する「いもいも教室」も、「学校の成績は上がりません」と公言しているにもかかわらず、どのクラスも定員いっぱいだ(いまクラスを増やそうと鋭意努力中です)。親だって、結局「いま、ここで」キラキラと輝いているわが子の顔を見れることこそが、何よりも幸福なのだ。

実は、井本がこんな、いわば「ラジカル」とも言えるような教育観を持つに至ったのには、元教え子であるRくんの存在が大きい。詳細は本書で読んでほしいが、結局Rくんは中学2年で退学するのだ。

そして井本は決意する。以下は本書からの引用だ。

「要するに、正しいと思ってやったとしても、正しいという根拠なんて何もない。教師としての〝正しさ〟にとらわれて、あんなに大切に思っていたRに、肯定的な気持ちを全然伝えていなかった。いったい自分は何をやっていたんだろう……と」

そして決意する。

「自分が教員じゃなかったらしてないことは、もうしない」

もし自分が教員でなかったとしたら気にしないことは気にしない。要するに生徒指導はやめた。説教じみた人生論を語るとか、そういうのもいっさいやめた。ひとりの人間としての純粋な感性で子どもたちと向き合うことに決めた。

彼との出会いと別れがどんなものであり、井本自身がそれをどのように感じたのかは、ぜひ本書で確かめてほしい。

また、Rくんのその後について、著者のおおたさんが取材してこんな記事を書いている。ぜひ併せて読んでいただければ幸いだ。

教育虐待の「見えない牢獄」から生還した若き物理学者の半生

回り道をすればこそ、ひとは輝く。

 

『いま、ここで輝く。超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室』
おおたとしまさ著 エッセンシャル出版社/1400円