『読みたいことを、書けばいい。人生が変わるシンプルな文章術』

副題に「人生が変わるシンプルな文章術」とある。しかし、「文章術」なるものを私はそもそも信頼していない。文章なんて、それぞれ自分だけのやり方で好きに書けばいい。そして一冊の本で人生が変わるなんてありえないし、そもそも自分の人生を変えたいなんて、まったく思わない。そもそも、本ごときで人生が変わったとしたら、お前の人生はそんな簡単に変わるほど軽いものなのか、と強く問いたい。

にもかかわらず、思わず買ってしまったのは、あまりに秀逸な「読みたいことを、書けばいい。」というタイトルのせいだ。

というか、このタイトルが秀逸であることにさえ気が付かずに、どういうわけか、思わず買ってしまい、読むほどに、しみじみ秀逸なタイトルだなぁ、と思った、というのが正確だろう。実際には、ともかくわけもわからず、ふだん「〇〇術」の本には興味がなく、「人生が変わる」なんて書かれた本は、むしろ意識的に避けていたにもかかわらず、買ってしまったのだ。

私が出版社の社員編集者からフリーランスのライターになると、先輩ライターから「ただ書きたいことを書いていてはダメだ」と言われた。編集者になりたての頃には、先輩編集者から「自分の読みたいように読んではだめだ」と言われた。つまりは独りよがりはよくない、ということ。どちらの場合も読者の目というものを意識しなければだめだ、というプロ意識のようなものが垣間見える。

では、「(自分が)読みたいことを書く」というのは、どういうことだろう。書くのも自分、読むのも自分、それで完結しているようで、一見、ここに他者性はない。しかし「書きたいことを書く」という、いかにも読者を置き去りしている感じではない。もやもやする。なんなんだろう。そんな気持ちが沸き起こる。

著者の田中泰延さんは、本の冒頭で、「自分が読みたいことを書いた」事例として、30年以上も前に読んだ雑誌の「あなたの職業診断YES・NOチャート」というものを持ち出す。当時中学生だった田中さんは、その最初の問いに衝撃を受けた。第一問目に【あなたはゴリラか?】とあったのだ。YESを選ぶと(なぜ田中さんがYESを選んだのかは不明だ)、そこには【あなたはゴリラだ。まず人間になることを考えよう】と書いてあったという。

職業診断にまったく必要のない質問。そしてその質問の破壊力。田中さんはこれを、書いた人が「書きたくて書いた」と憶測する。ではなぜ書きたかったのか。それは「自分が読みたかった」からと断定し、「書いた自分が楽しかったのである」と結論付ける。「書きたいことを書く」のではなく「書きたくて書く」。「自分が楽しいから書く」ではなく、「書いた自分が楽しかった」。そしてその理由は「自分が読みたいことを書いたから」。本書の何より素晴らしいところは、この少し謎めいた微妙な感覚が、読み進めるうちに徐々にわかってくることだ。

なぜなら田中さんはまさにこの本で、「自分が読みたいことを、書く」を実践しているからだ。この本には、思わず感心するような田中さんの経験談や、「つまらない人間とは『自分の内面を語る人』」「物書きは『調べる』が9割9分5厘6毛」といった、ものを書くうえで本当に役立つ心構えなども書かれているのだが、その間をどうでもいい、というか、くだらない、というか、つまり田中さん自身が「読みたいこと」がちりばめられているのだ(例えば「9割」ではなく「9割9分5厘6毛」というのがそうです)。それらの文章を楽しんだり、あきれながら読んだりしているうちに、「そうか、自分が読みたいことを書く」とはこう感じなのか、とわかってくるのだ。

そして、そんなふうにして楽しく最終章である第4章「なぜ書くのか」までたどり着くのだが、この章がなんだかすごい。コピーライターである田中さんの本領発揮とでも言おうか。簡潔で言葉の本質を突くような表現が、ビシビシと登場する。しかも、それらの表現は、何やら詩情さえをもたたえている気さえして、よくわからないけど感動してしまうのだ。

目から鱗が落ちまくると同時に、たくさんの「もやもや」も与えてくれる。この「もやもや」と脳内でダンスするうちに、どんどん言葉への愛が深まっていくのである。

ぼくは、最近は、ちゃんと人に誤解なく伝えなきゃと思って文章を書いていることが多かった。そして、書いていて、とても苦しかった。四千字の原稿を書きながら、この苦しい四千字よ、早く終わってくれと念じ、十万字の本を書きながら、この十万字よ、早く終わってれ、と何週間も念じ続ける日々。でも、この本を読みながら、「もしかしたら、この本を読み終わったら苦しみから解放されて、楽しく文章が書けるかもしれない」と思った。冒頭の段落の「『文章術』なるものを私はそもそも信頼していない」という言葉を撤回し、田中さんの「文章術」にすがるような気持ちで読み進めていったのだ。

残念ながら、途中で、「文章を書くのは苦しい」と田中さんもはっきり書いている。そのくだりが登場したときは、少し落胆してしまったが、読了し、今、この文章を書いているとき、いつもと気持ちがずいぶん違うことに気が付いた。苦しいけど、楽しい。両方の気持ちがないまぜになった「苦し楽しい」感じなのである。

考えてみると、ぼくは、自分の書いたものに対する読者からの感想などを聞いているうちに、その反応を恐れてしまうようになっていた気がする。しかし、この本にしたがえば、自分こそが読者である。何を恐れる必要があるだろうか。「読みたいことを、書く」というのは、書いた言葉が自分のなかで完結していながら、その自分自身がちゃんと「読者という他者」になっている、という状態なのだ。緊張が解け、体がゆるむように、言葉が伸びやかになる。そして、自分の見え方も世界の見え方も変わる気さえする。もう一度、冒頭の段落の言葉を撤回するが、この本を読めば、ちょっと人生が変わるかもしれない。

『読みたいことを、書けばいい。人生が変わるシンプルな文章術』田中泰延著(ダイヤモンド社)