『ひみつのしつもん』は、翻訳家・岸本佐知子さんが筑摩書房のPR誌「ちくま」で、実に18年にわたって連載しているエッセイ「ねにもつタイプ」をまとめたものだ。2007年に出た『ねにもつタイプ』、2012年の『なんらかの事情』に続く三冊目である。
まず、この連載が18年も続いていることに驚く。遅筆で「あらゆる締切を破ってきた」と自認し、仕事をしようとパソコンを立ち上げても、気がつくと吉幾三のラップをyoutubeで見てしまい、さらにはネット検索に走って聖人の死にざまやゴジラの歴代身長やヤクザの語源やらを調べまくってしまう岸本さん。そんな彼女が、これほど長期の連載を続け、3冊もの単行本を私達に送り届けてくれたのはある種の奇跡である。感謝の念が湧き上がり、同時に、連載と出版を支えた編集者たちにも思いを馳せてしまう。

岸本さんは、「世界と折り合いをつけること」が大変苦手な方だ。ふだん家でじっとしていて、外に出る勇気がない。それでも頑張って外に出ると……。

“チャージ不足で通せんぼされる。裏返しに着ていたことに一日中気づかない。割り算を間違う。忘れたまま家を出る。受け取らずに帰ってくる。落とす、なくす。遅れる。迷う。気づかない。”

という具合である。その他、ラジオ体操ができない、カードの磁気が必ず弱くレジなどで「ピッ」と鳴らない、靴下のかかとがいつのまにか甲のほうに回る、オリンピックが大の苦手、人の名前が思い出せない。手紙の返事が書けない、などなど、ありふれた日常の世界と折り合いがつけられずに苦労するさまが、本書には存分に描かれている。

そのような生きづらさを、岸本さんは想像力、あるいは妄想力とでもいうもので補って生きている。運動も旅行も、妄想で済ませてしまえば苦労することはない。
例えば、岸本さんが今までで一番行った旅行先はアレクサンドリア。

“アレクサンドリアは行くといつも夕暮れで、松明に照らされている。港の石畳がなだらかに海に続いていて、そのまま歩いてじゃぶじゃぶ海に入る。水は生あたたかく、洗濯板状の岩の感触が足裏に心地よい。”

もちろん岸本さんは本当のアレクサンドリアがどんな場所かは知らない。高校の教材の世界地図に載っていた写真から妄想が膨らみ、今に至るのだ。
しかし、困ったことに、岸本さんの場合、妄想が暴走しがちでもある。そうすると、よけいに「普通の人生」と折り合いがつけにくくなる。
例えば、岸本さんは、スパイスのクミンを使うたびに「腋臭の臭いだなぁ」と思うそうだ。ふつうはそれ以上考えないし、むしろ、料理というものの性質を考えたら、その考えを押しやって、料理に集中しようと思うだろう。それが「普通の人生」のありようだ。しかし岸本さんは、「これはいったい誰の腋臭だろう?」と思ってしまう。そして、その腋臭の持ち主を妄想する。心に思い浮かぶのは、16歳のトルコの純朴な少年アリ。ふだんは父親を手伝って、羊や山羊の世話をしている。

“クミンの蓋をあけてくんかくんか嗅ぐたびに、私はアリの不安や希望や純朴もいっしょに嗅ぐ。あ、今日は羊が売れたんだな、と思う。なにか悲しいことがあったのかな、と心配になる。”

そうやってクミンの匂いから生まれた妄想の少年アリは、岸本さんの心の友となるのだ。

なるほど、そんなふうに妄想が頭を支配していては、普通の人生の歩むのは難しい、と思う。しかし、なぜか岸本さんのエッセイに心を惹かれてしまう自分もいる。あえて鈍感になり、普通の人生を生きようしているが、実は、自分自身も「世界と折り合いがつけられない部分」をとても大切に思っているということが、じわじわとわかってくるからだ。幼い日からずっと自分とともにあった世界との折り合いのつけにくさを懐かしく思い出し、わたしもアリと友達になりたい、と思うのである。