『兄の終い』

『兄の終い』は、著者が、兄の突然の死と関わった5日間の出来事を綴ったエッセイである。特に大きな事件が起きるわけではなく(もちろん兄が突然死んでしまうということは、個人史においてはひとつの事件かもしれないが)、兄の死の「後始末」に奔走する著者と兄の元配偶者、そして残された兄の子どもたちの姿を淡々と、そして時にリリカルに描いている。

人の死に対して「後始末」と書くのはどうかと思うかもしれないが、著者が行ったことは、まさに後始末というにふさわしい。兄は、親に金を無心し、妹に頼ってきたと思えば、ときに罵倒し、嘘ばかりついた。母親とは共依存めいた関係性だったが、母の末期がんが発覚すると、遠く東北の多賀城市に引っ越していった。糖尿病で体調を悪くしていたが、酒は止められず、ゴミ屋敷のようなアパートの一室で脳出血で死んでいった。長く兄に翻弄され、関係性を断とうとしてきた著者が、「憎かった兄」と書くのは本心だろう。

著者は、遺体を受け取って葬儀を行い、兄の離婚した妻である「加奈子ちゃん」とともに部屋を片付け、大量のゴミを捨て、息子の飼っていた亀と魚を救い出し、車の廃車手続きをし、兄が親権者となっていた息子が加奈子ちゃんと一緒に住めるように手続きを進めていく。

書かれているのは、それだけのことだなのだが、何か作業を行うたびに兄の生活の刻印がたち現れて著者の心に響く。そして、著者の持つ細部への観察眼と感受性が、その「憎かった兄」の人生の細部を浮かび上がらせていくのだ。「体を壊し、困窮し、這い上がることもなく」死んでいった中年男の人生は決して無価値なものではなく、まさに彼自身の人生であったという点において、かけがえがないもの。その固有の生から浮かびあがる、理詰めで割り切ることができない「家族」というものの不可思議さに、読者も心揺さぶられるのだ。

尚、本書の通奏低音となっているのは、東日本大震災で津波被害を受けた多賀城市の人々の、懐かしいようなあたたかさだ。いろいろ取っ散らかしたまま逝ってしまった男の人生を、二人の女性が静かに悼みつつ、片付け、終(しま)っていく姿を、多賀城市の人々の控えめなあたたかさが包みこんでいく。読むほどに、愛とか希望とか理解とかが混ざりあったような、なんともいえず好ましい温もりに触れるようで、人間への愛おしさが、じわじわと胸に湧き上がってくる。

『兄の終い』 村井理子著(CCCメディアハウス 1400円)