今年1月、雑誌「Number」における中村計によるインタビュー記事で、登山家・栗秋正寿は、「事実上の引退」を表明した。今回取り上げるのは、その栗秋の著書『山の旅人 冬季アラスカ単独行』である。

栗秋は、史上最年少でアラスカ山脈にある北アメリカ大陸最高峰のデナリ(6194m)に冬季単独登頂を果たし、同じアラスカのフォレイカー(5304m)に世界初の冬季単独登頂も成功させた世界的で唯一無二の登山家だ。デナリという名に馴染みがない人も、マッキンリーといえばわかるかもしれない。植村直己が冬季単独登頂後に遭難した山であり、栗秋の冬季登頂成功は、現地では「植村直己の旅を終わらせた」と言われたという。

冬のアラスカ山脈にそびえるデナリ、フォレイカー、そしてハンター。それらアラスカ三山の冬季登頂を目指すものは世界的に見ても栗秋ただ一人だそうだ。ほとんど狂気沙汰であり、何度も冬にアラスカ山脈に分け入って何十日もかけて登頂を目指し、必ず五体満足で帰還してくる栗秋に対し、現地の人々は「He still alive」(彼はまだ生きている!)」と驚愕していたという。

なぜ「狂気」なのか、それは冬のアラスカ山脈が極めて過酷な世界だからだ。山中にいる間はほとんど天候が悪く、山頂近くは、風速50メートル、瞬回最大風速100メートルを超えるブリザードが吹き荒れる。ちなみに風速50メートルは、街灯や電柱が倒れ、ブロック塀や古い木造住宅が倒壊するほどの強さ。100メートルともなれば、鉄骨造の家も潰れ、列車や吹き飛ばされ自動車が空高く舞い上がるほど。猛烈な台風をはるかに超えた、想像しがたいほどの烈風だ。そのような天候のなか、雪洞を作って待機しながら、移動できそうな天候になると大量の荷物を一人で移動させさながらじわじわと山頂へ進んでいく。一ヶ月にも及ぶ山行でも、山頂にアタックできるような好天はわずか数日で、ほとんどの時間は雪洞やテント内に待機する。冒頭の「Number」のインタビューによれば、一日4~5時間は生きるために雪を溶かして燃料で水を作ることに費やし、食事づくり、寝袋のメンテナンスなどの細かい作業に追われながら、じっと待機しているという。

本書は、そんな彼のアラスカ山脈への単独行と、アラスカ1400キロを徒歩で横断した記録を収めた本。2000年に山と渓谷社から出された『アラスカ 垂直と水平の旅』の増補版で、新たに雑誌「山と渓谷」に掲載された2007年のフォレイカー単独登頂の様子と、同じ「山と渓谷」掲載の2016年のハンター挑戦に関する柏澄子による記事、そして著者による新たな「あとがき」が加えられ、再出版されたものだ。

もちろん本編も十分に面白いのだが、柏澄子の記事とあとがきが加わることで、この本はぐっと深みのあるものとなっている。なぜなら、増補された部分に、栗秋が9度目の冬季ハンター登頂に挑戦しているとき、人生初の救助要請を出したことが書かれているからだ。「(救命信号を発する発信機を携帯することは)カンニングではないのか」「救助要請をすれば山に登る資格を失う」ーーそうストイックに考えていた彼の心境が描かれているこそ、彼の登山=「山の旅」全体が、より深く心に響いてくる。

たった一人、苛烈な自然のなかでじっと待ちながらが頂きを目指す。そんな彼の山の旅は、どうやっても内省的なものとなる。

アラスカの山では判断力はいらないんです。自分を殺すというか、五感を研ぎ澄ませて、いかに自然のサインを感じるかが大事なだけで。そうすれば、今日は遊ばせてくれるのか、それとも待機していた方がいいのか、アラスカの自然が教えてくれるんです。そこに早く登りたいとか、自分の願望が入ってしまうと、自然のサインを見逃してしまうことがある。

冒頭に掲げたインタビューで栗秋はこう語っている。そのように自我を殺した上で、彼は雪洞のなかで、「もう一人の私」と対話するという。

ーーいったいなぜここにいるのか。

そしてそのうえで、こうも書く。

ーー山は何も教えてはくれない。頂上は何も教えてはくれない。

世界中で栗秋だけが挑む、答えの出ない、孤独な修行のような山行である。しかし、それを栗秋はやわらかな心持ちで、存分に楽しんでいるようにも思える。

栗秋は、「ひとりぼっちの山は、まさに『心を耕す旅』」だと書く。孤独で心身を削るような山行を「楽しむ」ことで、彼は自身の心をより豊かなものにしてきたのかもしれない。

『山の旅人 冬季アラスカ単独行』栗秋正寿著(閑人堂/2400円+税)