失言がきっかけとなって、かつて総理大臣の座から追われ、今またオリンピック組織委員会の会長も辞めざるを得なくなった。いくつになっても懲りない御仁である、という感想しか思い浮かばない。

もっとも、政治評論家の間には「永田町で一番スピーチが上手いのは森喜朗」だという定評もある。小泉純一郎の発言で有名になった「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、そして”まさか”だ」も、元をたどれば森喜朗から借用してきたものだ。

ウケを狙うサービス精神が、しばしば「失言」につながるのだろう。内角ギリギリを攻めるあまり、そのままデッドボールになってしまう印象である。

それでも、今回の女性差別発言は酷すぎましたね。スポーツ界にも「あれは冗談だ」と擁護する向きもあるが、「冗談」では済まされないし、いかなる文脈において語られたとしても許されるものではない。

女性活用が叫ばれる昨今にあって、世の中の流れがまるで読めていない。男尊女卑の風潮が色濃く残る永田町にあっても、お粗末な一件ではあった。

閑話休題。

多くの大企業が、今や女性役員比率を引き上げることに躍起になっている。「数値目標」を掲げる会社も皆無ではない。「取締役に占める女性比率を30%にまで高める」とかね。

趣意や理想にはもちろん賛同するし、おいおい書いていくように将来的には勝手自然にそうなるわけだが、現時点では無理な話だと思う。「おまえも森喜朗と同じじゃないか」と言われそうだが、断じて違います。ファクトベースで解説しよう。

男女雇用機会均等法が施行されたのは、1986年である。それから30年余りしかたっていない。30年というのは決して短い時間ではないが、大企業では取締役になるまで20~30年はかかる。つまり、雇用機会均等法の第一期生がようやく幹部人材に育ってきた頃合いだ。

そして、わざわざ解説するまでもないことだが、「雇用機会」は確かに均等になったかもしれないが、「キャリアパス」は決して均等にはならなかった。

某大手生命保険会社の場合、1987年には150人の女性総合職を採用した。雇用機会均等法による、事実上の第一期生である。男性150人、女性150人でちょうど半々の採用だった。

男性のほうが、今何人残っているのかは知らない。しかし、なぜか女性のほうはよく知っている。たった1人である。150人中の、たった1人。

その1人も、今や「総合職」ではない。「総合職は転勤を断われない」と脅かされて「特別職」なるポストに一段落とされることになってしまった。当然、昇進・昇格などは望めず、同期入社の男性に比べて給料も安くなった。

乱暴に言ってしまえば、これが男女雇用機会均等法におけるニッポン企業社会の縮図である。女性が能力や適性を発揮できる「機会」があまりにも少なかったのだ。

したがって、役員人材となる「母数」も、現実問題として女性のほうが圧倒的に少ない。あと10年かかってもキャッチアップは難しかろう、という気がする。

こういう環境下で、女性役員の数値目標を掲げると、必ず「逆差別」が生じる。女性にゲタを履かせて、男性が割を食うことになるわけだ。

個人的には、それも承知の上で「女性活用」を推進していくべきだと考えている。ニワトリとタマゴじゃないけど、とにかく掛け声をかけて現状を変えていくきっかけをつくらないことには、社会が変わらない。

その昔、筆者が働いていた週刊誌編集部では、20年くらい前から女性記者が増えてきた(筆者が入社した1987年には1人もいなかった)。

新卒・中途ともに何度も就活面接をやったものだが、圧倒的に女性の方が優秀なのである。精神論ではなく、雑誌づくりには「根気・根性」も求められるのだが、それすらも女性の方が勝っている(この言い回しは「差別」と受け止められるかもしれないが、そのつもりはありません。お許しください)

今、女性記者は全体の半分を超えているはずである。女性の副編集長も何人もいる。そのうち、女性初の「編集長」も登場するだろう。雑誌の編集部などというものは、そもそも能力・実績でしか評価しようがないので、それが当たり前になっている。

この当たり前が、多くの大企業にとっても「当たり前」になるだろうし、当たり前にならなければ自滅の道をたどるしかないだろう。

と、まあ、今回はこれだけでいいようなものでもあるが、もうひとつ思ったことがあるので、ついでに書いておきたい。

菅義偉首相の長男接待問題で内閣広報官を辞任した山田真貴子氏のことだ。山田氏は「女性」であり、私立大学出身という「学歴」のハンディも背負いながら、官僚出世スゴロクの上がりとなる総務審議官(事務次官級ポスト)にまでなった。

菅首相が政治家として頭角を現すのは、総務省の副大臣に就任してからのことである。時の大臣は竹中平蔵だったが、総務省の内部を実質的に仕切っていたのは菅であり、後には総務大臣ともなっている。

省内では「総務省のゲッベルス」と恐れられた実力者であり、首相の長男の接待相手が財務省や経済産業省でなく「総務省」であることは、だからこそ重大な問題なのである。はずなのだが、なぜかその点はあまり触れられていませんね。

総務官僚としては、菅氏の長男は「首相の長男」でなく「総務大臣の長男」という感覚なのである。いわば、「上司」であり「社長」の息子なのだ。

そんな人物からの会食のお誘いは、利害の有無に関わらず、無下に断わるわけにはいかない、というのはサラリーマン的な心情として理解できるだろう。

「飲み会を断わったことがない」という山田真貴子氏のみならず、接待を受けた官僚全員にとって、それは同じだったはずだ。

「息子がやったこと」では済まされない、と思う。菅首相(厳密に言えば、菅元総務相)の責任も問われて然るべきではないか。

ただし、接待を受けた官僚全員について言えるのは、「脇が甘すぎる」ということである。接待を断われない事情は分かりすぎるほど分かるが、少なくとも「おごられっぱなし」では救いがない。

会費制にして、自分の払いは自腹を切る。あるいは、おごられたら、次はおごり返す。とか、やり方はいくらでもあったはずである。

総務省(旧・郵政省)には独自の「裏技」があって、飲み食いの勘定書は「特別会計」に回していた。郵政三事業(郵便、貯金、簡易保険)の収支が独立会計になっていたため、旧・電気通信局、放送行政局の官僚がそちらにツケを押し付けるわけだ。

しかし、郵政民営化によって、その手は使えなくなった。官僚というものは若い頃は驚くほどの薄給であって、それを「天下り」によって回収するという人生モデルだったが、天下り批判も厳しくなって久しい。

官僚にしてみれば、何とも世知辛い世の中になった。せめて、接待くらいは。という心情も、まァ理解できなくもない。

まとまりのない話になってしまったが(毎回そうではないかという声もありそうだが)、次回はその昔の「官僚接待」について、興が乗れば書いてみたいとも思う。