『WHAT IS LIFE? 生命とは何か』

今年の春頃、目立つ黄色の表紙の本が書店の平台を占領していた時期がある。『WHAT IS LIFE?』という本である。

著者は2001年にノーベル生理学・医学賞を受賞した英国人の細胞生物学者ポール・ナース。ナースは、ロックフェラー大学総長や王立協会会長を歴任し、勲章やら名誉学位やらをいっぱい持った大御所研究者である。そんな彼の初の一般向け科学書ということで、大きな話題となったのだ。

「WHAT IS LIFE」というと、私が真っ先に思い浮かべてしまうのは、1970年に発表されたジョージ・ハリスンの曲「What is life」だが、本書は別にこの曲へのオマージュというわけではないだろう。むしろ1944年に刊行された、物理学者エルヴィン・シュレディンガーの著作『WHAT IS LIFE?(邦訳タイトルは「生命とは何か」)』や生物学者J・B・S・ホールデンによる『WHAT IS LIFE?(邦訳タイトル「人間とはなにか」)を意識したものだと思われる。

ちなみにシュレディンガーの本の副題は「物理的に見た生細胞」で、ナースのほうの(原著の)副題は「5つのステップで理解する生物学」である。いかにも入門書的な副題が表すように、本作は最新の知見を取り入れつつ、わかりやすい語り口で、生物学の基本を本質から解説した本なのだ。構成も見事で、養老孟司が「現代生物学の入門書・教科書としても使えると思う」と書いているように、平易に、ていねいに、シンプルに「生命」について教えてくれる。

本書における、生命を理解するためのステップ1は、生命の基本単位である「細胞」を理解すること。そしてステップ2は「遺伝子」を理解することだ。それらの解説には、ナース自身の生い立ちや経験が盛り込まれ、やわらかな科学エッセイのようでもある。そしてステップ3が「自然淘汰による進化」についてだ。ここまで読んだだけで、例えば、「人が必ず誰かと似ていること」、それでいて「一人ひとりが違うこと」の意味や、「人はなぜ死ぬのか」といった哲学めいた問いに、生物学の立場から答えを与えてくる。

続くステップ4は「化学としての生命」。代謝と呼ばれる、生命の内部で行われている膨大な化学反応に焦点を当て、さらにステップ5「情報」では、エピジェネティクスなど、比較的最近の生命科学のトピックを取り上げて、情報を中心に据えた生命観を展開、生物学における物理学や数学、コンピューター科学などの役割の重要性についても指摘する。

ナースはこんなふうに少しずつ読者を生命への理解へと導いたうえで、最後の2章で、現代社会で起きている様々なトピック、例えばCOVID-19のような感染症やがん治療、ゲノム編集、合成生物学などを取り上げ、さらには、あらゆる生命同士のつながりへの讃歌とそこにおける人間の役割について語るのである。

本書は平易な入門書でありつつ、科学的にも哲学的にも示唆に富む部分がそこかしこにあり、読み直すほどに思索が深まる気がする。また、さらにナース自身の人生が投影されていて、それが本書に深みを与えてもいる。そして何より、ナースの生命に対する敬意と愛と慈しみが行間から溢れているところが好もしい。そういえば、ジョージ・ハリソンの「What is life」の邦題は「美しき人生」だったな、とふと思い出す。本書を読むと、Life(生命/人生)とは美しいものだとつくづく実感するのである。

『WHAT IS LIFE? 生命とは何か』ポール・ナース著(ダイヤモンド社/1700円)