『実力も運のうち 能力主義は正義か?』

ハーバード白熱教室でおなじみ、『これからの「正義」の話をしよう』などのベストセラーでも知られるハーバード大学のマイケル・サンデル教授(政治哲学専攻)の新著が『実力も運のうち 能力主義は正義か?』である。

ここで能力主義と訳されているのは、メリトクラシーという言葉。イギリスの社会学者マイケル・ヤングによる造語で、1958年のヤングの著書『Rise of the Meritocracy』で初めて使われた言葉だ。この本は貴族の出であるなどの生まれながらの地位とは無関係に、本人のメリット(実績、功績)ですべてが決まる社会を描いた本だそうだ。

出自に影響されないことはよいことのように思える。アメリカの理想とも言える、平等な機会のもと、本人の努力によって、成功を掴み取ることができる社会は素晴らしいものではないのか。しかしサンデルは、戦後アメリカで一貫して推進されてきたこのメリトクラシー=能力主義・功績主義に、異を唱えるのだ。

現代アメリカの能力主義(本書ではメリトクラシーを能力主義と訳しているのでここからは能力主義という言葉を使う)は、学歴主義でもある。名門私立大学であるアイビーリーグやマサチューセッツ工科大学(MIT)、スタンフォード大学、デューク大学、シカゴ大学、カリフォルニア大学バークレー校に入学することで、自身の「能力」が証明され、出世し、将来的な高収入が約束される。そこで当然さまざまな不平等は生じるが(アメリカは極端な格差社会でもある)、門戸は誰にでも開かれ、機会が平等であれば、結果として格差が出てもいいのではないか、と考える傾向を持つ。

しかし、統計的に明らかなように、上記のような有名大学の生徒は高額な学費のかかる有名私立高校出身者、富裕層、大学OBの子どもによって占められており、本当に「機会均等」があるのかは非常に疑わしい。さらに悪いのは、統計的には有名大学の学生が、たまたま高収入のエリート家庭に生まれたという出自に大きく左右されているにも関わらず、本人たちは、自分が努力したからだ、と思い込んでいることだ。そのため、結局、難関大学に入れなかった人や貧困層を「なまけもの」として差別する余地が生まれてしまう。人種、国籍、ジェンダーなどを差別することは許されない、という考えは広く行き渡ってきたが、能力主義の下では、学歴が低く、そのために収入が低い「愚か者」たちのことだけは、努力してこなかった怠け者としておおっぴらに差別していいことになるのだ。

サンデルは、そんなアメリカの能力主義の系譜を16世紀の宗教改革から丁寧にたどり、さらに能力主義に冒された大統領として、バラク・オバマを痛烈に批判する。もちろんサンデルがドナルド・トランプを支持するわけはないのだが、クリントンやオバマの能力主義的思想の下、バカにされ、差別されてきた人たちの力がトランプ大統領を生んだことを指摘するのだ。

このあたりの記述は、読みやすさと学者としての誠実さが一体となって、強い説得力がある。さらに、サンデルは、後半でそのような能力主義の下でおかしくなってしまったアメリカ社会への処方箋も提示するが、それも実施する価値があるもののように思える。

何より、平易な本であるにもかかわらず、今のアメリカ、そしてアメリカ的な能力主義が浸透しつつある日本と世界を眺めるとき、混沌と見えていたものが、非常に整理され、よりすっきり見えるようになる。それだけでも大いに価値がある本だと思う。

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』 マイケル・サンデル著(早川書房/税込2420円)