第44回 パナソニックの「早期退職プログラム」で思ったことを書いてみる

パナソニックが「早期退職プログラム」を実施するという報道があった。どうでもいいけれど、「パナソニック」っていまだに気分が出ないですね。松下は松下であると思っているので、本稿でも「松下」で通したい。

似たような会社として、「NEC」がある。これもやはり気分が出ない。日電は日電である。日本電気の略で「日電」。ほんと、どうでもいいな。

でもって、「早期退職プログラム」である。55歳管理職の場合、割増退職金を加えて8000万円ですと。メーカーの給与水準を考慮に入れれば、どえらい大盤振る舞いではあるけれど、このプログラムに応募する社員の気持ちを考えると、どうにも忍びない。

だってねえ、こりゃ「8000万円くれてやるから辞めてくれ」って言われてるも同然ですよ。30年以上もご奉公して、この仕打ちはないだろう。というのが、個人的な感想ではある。ま、8000万円貰えるとなれば喜んで辞めるという社員も少なくないんでしょうけど。

早期退職制度そのものは、もはや珍しくも何ともない。松下がやるから、話題になるのだ。創業者の松下幸之助が唱えた「人本主義」があればこそ、これまでリストラに踏み切れないまま余剰人員を抱えてきた。

そして、余剰人員を切れないからこそ、松下は低空飛行を余儀なくされてきた。松下幸之助の呪縛をようやく断ち切った。というのが、マスコミの論調である。

どうも、ここに違和感を覚えるのである。社員を大切にすること自体、間違っているというのだろうか。「8000万円くれてやるから辞めてくれ」というよりかは、雇用を守り切ることのほうが余程上等ではないだろうか。

筆者が週刊誌の世界に入った1980年代は、こうではなかった。人員削減は、経営者にとって「恥」であった。やむを得ず人員整理に踏み切った場合、経営者も責任を取って辞任するのが一般的だったように思う。

今は昔の話で、世の中はコペルニクス的に変わった。じゃんじゃんクビを切って業績を上げる会社(経営者)がもてはやされ、松下みたいな会社が「時代遅れ」と言われるようになり、評価されなくなった。

ターニング・ポイントはどこにあったのか。つらつら考えると、カルロス・ゴーン率いる日産自動車だったのは間違いない。

「リストラ」という名の下に、ごっそり人員整理に踏み切り、業績をV字回復させたことで、ゴーンは一躍時代の寵児となった。

リストラというのは、本来「事業再構築」という意味である。「人員整理」をリストラと最初に読み替えたのは誰だったのか。マッキンゼーあたりのコンサルティング会社ですかね。とにかく「リストラ」っていうと「恥」にならないような空気が、あっという間に世の経営者に広がった。ゴーンもやってるし。

このあたり、「撤退」を「転身」、「全滅」を「玉砕」と言い換えたりした太平洋戦争中の大本営発表を彷彿とさせるものがある。リストラリストラって、てめえのやってることは人員整理じゃないかって。ゴーンが「恥知らず」であることが露呈したのは、その意味で皮肉でもあり興味深くもある。

何もね、終身雇用にこだわる必要はないんですよ。平等主義も、今の世の中通用しない。しかしながら、「社員を大切にする」という思いは、経営者としてなくてはならないものだと思うのです。これはもう今も昔も変わらない。

社員を大切にする、という強い思いがあれば、安易にリストラに逃げ込むことはしないのではないでしょうか。雇用を守るためには、新しい収益源を確立するしかない。とか、発想が変わってくるはずだ。

出版社もそうだけれど、会社にとって最も効率的なのは、中途採用で「使える」社員を揃えることである。新入社員を育てるより、そっちのほうが手っ取り早いし、プロダクトの質も向上させることができる。

と理論上はなるのだが、これみんな同じことをやるとみんな同じ会社になってしまうわけですよ。長い時間をかけて新入社員を育てるから、その会社にしかない「社風」が醸成されるし、社風があるから「差別化」もできる。

そんな大前提が見失われているんじゃないか。と、松下の早期退職プログラムについて改めて思った次第であります。

松下幸之助の経営哲学は(全部が全部)古くなったわけじゃなくて、不変の真理もある。そこを時代に合わせて変えていき、新しい経営モデルを築き上げる。ということができなかったのは残念なことであると。

ところで、その昔は「松下」といえば「ソニー」だった。「松下vsソニー」というのは、ネタに詰まると経済誌もしょっちゅう特集を組んだものである。で、松下は低迷を続けているが、一方のソニーは大復活。史上最高益を更新し、株価もバンバン上がっている。

この明暗は、どこで分かれたのだろうか。という興味もある。次回は、ソニーについて思うところを記してみたい。