『最悪の予感』

パンデミックに対しては、患者の隔離以外にやれることはなく、ワクチンを開発を待つしかないーーかつては、そんな考えがアメリカの疫学界でも常識だったそうだ。それを覆したのが、2005年、ジョージ・W・ブッシュ大統領の時代に立ち上げられたプロジェクトで、ワクチン開発まで間に感染者や死者を最小限に留めるための提言がまとめられた。感染症対策におけるソーシャル・ディスタンスという概念もこのとき生まれたのだ。

『マネーボール』などで知られるノンフィクション作家のマイケル・ルイスが、このプロジェクトにかかわった個性的な人々のストーリーから、アメリカのパンデミック対策がすこぶる有用なものになりかけ、しかしそれにもかかわらず、失敗に終わった経緯を描き出したのが、本書『最悪の予感』である。

鍵になる人物が何より魅力的だ。例えば、ブッシュのプロジェクトに参画したカーター・メシャー。救急救命の現場で治療に当たることが天職の医師、労働者階級出身の現場主義者だ。工具・金型製造業者の父を尊敬しており、自身も車のエンジンの修理などを好み、いつも指先が機械油で汚れているような男である。やがてカーターは、病院で続いた医療ミスをきっかけに、それを防ぐための組織改革やシステムづくりを担うようになり、退役軍人省からこのプロジェクトに引き抜かれる。

もう一人、武漢での新型コロナ発症後に、彼らの「チーム」に加わったチャリティ・ディーンは、進化論を否定する原理主義的な教会の庇護のもとで育ったプアホワイト出身の女性。教会と縁を切って医師となったのち、カリフォルニア州サンタバーバラ郡の保健衛生官となり、独特の嗅覚で、上司や組織とぶつかることも厭わず、C型肝炎や結核などの感染症の広がりを防いできた、反骨精神と強い意志の持ち主である。

そして、ローラ・グラスとボブ・グラスの父娘の話も興味深い。13歳のローラは、自身が参加する科学研究コンテストのテーマとして、コンピュータ上のエージェント・ベース・モデルを使って疫病の広がりを調べることを思いつく。ボブは娘の研究を手伝ううちに、精緻な感染拡大の数理モデルを作り上げ、それを手にカーターらのチームに加わることになるのだ(ちなみに、このモデルで導き出された、もっとも、かつ唯一大きな効果が見込める対策は、「学校の閉鎖」である)。

現場での経験に根ざした危機感、上司や権力におもねることのない姿勢、統計やデータ、数理モデルなどに根ざした、彼らの自由で創造的なプロジェクトに対して、アメリカの感染症対策を担うべき米国疾病予防管理センター(CDC)は、官僚的、事なかれ主義、責任逃れの組織として描かれ、幾度となく、彼らの壁ととして立ちはだかる。その壁を打破し、ついにはCDCを動かしていく経緯は実に痛快である。

残念なことに、ブッシュ政権が終わり、オバマ政権となると、プロジェクトに関わる多くの人がホワイトハウスを去ることになる。さらにトランプ政権誕生で、彼らの知見は政権内で継承されることなく、埋もれてしまう。しかし武漢での新型コロナウイルス発症に際し、彼らは、密かにメールでやり取りをし、ときに電話会議を行い、この新しい感染症に関する考察を深めていくのだ。特にカーターは、ネット上で入手できるような情報から、感染の広がりを考察し、まだアメリカ人が、対岸の火事だと思っている頃に、すでにアメリカ国内で市中感染が広がっていることを正確に予測している。

彼らの働きかけは当初は無視されたが、やがて、遅きに失したとはいえ、カリフォルニア州を動かし、ある程度のパンデミック対策を実行に移される。しかしそれも、官僚主義、政治家の意図、上層部の自己保身、事なかれ主義や責任逃れによって、やがてなし崩しに効果のないものにされていってしまうのだ。

人々の命を守ろうと奮闘する少数の人々の努力が、硬直化した官僚組織や、危機をビジネスチャンスと見る医療系企業などに潰され、アメリカで感染が爆発していくところで、本書を終わる。世界で最大の死者を出すに至る、まさに「最悪の予感」が余韻として残るのだ。

翻って日本を見ると、迅速な学校閉鎖など、緒戦で勝利しつつも、その後は、政局や官僚主義が跋扈し、対策が成功しているようには思えない。日本でも、同じことが起きているのではないかーーそんな「予感」を感じつつ、本書を閉じた。

『最悪の予感』 マイケル・ルイス著(早川書房/2100円)