『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』

ポピュラーサイエンス、いわゆる科学読み物を愛するものなら、ブライアン・グリーンと同時代に生まれたことを感謝せずにはいられないだろう。コロンビア大学で物理学部教授を務めるガチの理論物理学者でありながら、一般向けの書籍を多数執筆し、物理学や宇宙に関する最新理論を、その人文的素養によって、わかりやすく、そしてしみじみと味わい深く教えてくれるのだ。

世界的なベストセラーになった『エレガントな宇宙』で超ひも理論を紐解き、『隠れていた宇宙』で宇宙多元論を、『宇宙を織りなすもの』で最新物理学から見た「時間と空間」を解説したグリーンは、最新刊(といっても日本版発売は昨年末だ)の『時間の終わりまで』で、宇宙の発生から生物の誕生、時間や空間の終焉、意識や心、「ここに存在すること」そのものにしても俎上に上げた野心的な作品だ。こう書くと、「あのグリーンがエセ科学やニュー・サイエンスのような物理学をまとった神秘主義の側に行ってしまったの?」と思うかもしれないが、ご心配なく。しっかりとグリーンらしい物理還元主義の視点で、すべてを俯瞰的に考察していく作品である。

宇宙の誕生と共に生まれた粒子たちがゆらぎによって恒星となり、いずれ粒子の集まりが太陽という恒星のひとつの惑星で「生命」となり、進化を重ね、人間が誕生し、意識が生まれ、心が生まれる。そしてそこには不可逆的な時間の流れがある。あらゆる解明されない問いがいっぱいに詰まったこの一連の流れを、グリーンは物理理論と深い教養、見事なレトリックで、出来うる限り、平易に語ろうとする。

本全体に流れる根源的な問いは、単に粒子が物理法則にしたがう形で集まった、という事実が、なぜ今の世界に至ったのか、というもの。たしかに、今あるこのような世界、このような時間の流れ、われわれの意識や心、すべての根源は、明らかに宇宙と共に生まれた原子や陽子などの粒子とその運動を支配する法則によって成立したはずだが、その距離は途方もなく遠く感じる。しかしグリーンは、熱力学第2法則とすなわちエントロピーの増大と進化論というシンプルな仕組みをエンジンにし、量子力学や最新の理論物理学を駆使して、その距離をていねいに埋めていくのだ。ニュートン力学の世界に生きるわれわれの直感に反するようなさまざまな現象も、グリーンの趣深い叙述にかかると、いかにも納得感が生まれ、面白くなる。もちろんすべてを理解したわけではないが(当然、人類の科学自体がそれを解明したわけでもない)、根本から問いを立て、熱力学第2法則のような実にシンプルな理論から、答えを探していく記述を読むと、本質を探り、本質に至るとは、このような思索と作業によってなされるものなのか、と深く感嘆するのである。

『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』 ブライアン・グリーン著, 青木 薫訳