『ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと』

『ムラブリ』は横浜私立大学で客員研究員を務める今年37歳になる、世界でたった一人のムラブリ語研究者の手による本。ムラブリとは、タイやラオスの山岳地帯を「遊動」しながら住む狩猟採集民で、彼らと15年以上にわたって交流してきた経験を書いたのが本書だ。

ムラブリ語には「おはよう」「こんにちは」のような挨拶の言葉も、「ありがとう」も「ごめんなさい」もない。「おはよう」の代わりに「ごはん食べた?」と聞き、「こんにちは」の代わりには「どこに行くの?」と言う。いずれも正確に答える必要はなく、適当でいいそうだ。「ごめんなさい」の代わりには「季節を置く」という意味の言葉が使われるそう。時間に任せよう、みたいなニュアンスのようだ。

面白いのはネガティブな感情を「心が上がる」といい、ポジティブな感情は「心が下がる」というところ。子どもたちが遊んでいる様子を見たり、木々がたくさんあるのを見たとき、ムラブリはポジティブに「心が下がる」のだ。ゆったりと落ちついた感情なのだろうか。

逆に「心が上がる」ようなネガティブな気持ちをできるだけ避けようとする。だから人に意見を言うときは、何度も自分が怒っていないことを伝える。そして意見が違っても「その人次第」「人は人」と考え、決して言い争いは起きないという。
そして暦もなく、予定を聞くとかならず「わからない」という答えが返ってくる。

われわれの感覚とはまったく異なるムラブリの言葉は、そのままムラブリの行動様式、そして生き方を定めていく。不思議なのはわれわれの行動様式とムラブリの行動様式が大きく異なるにもかかわらず、どこか懐かしく共感が湧いてきてしまうことだ。それどころか、読み進めるうちに、むしろわれわれのほうが間違っていて、彼らのほうがまっとうなのではないか、と思ってしまうのだ。

実際、著者はムラブリ語を習得することで、まさにムラブリの「身体性」を得て日本社会になじめないようになり、風変わりな生活を送るようになる。最終章でそんな著者の生活と思想について書かれているが、これがまた面白い。

ムラブリという希少な人たちの生き方を知り、「新しい視点」をもらい「懐かしい視点」を思い出させる作品であると同時に、現代社会に疑いを持って「生きていきにくさ」を抱えてきた青年の個人史としても興味深い本である。

『ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと』(伊藤雄馬著 集英社インターナショナル)