『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』

『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』。まさにこの長いタイトルそのままの内容のノンフィクションだ。なかなか信じがたいその経緯を読むのも十分に興味深いのだが、想定外のこともあった。それは、作者の文章があまりに見事だ、ということである。言語学者・黒田龍之助の名著『ロシア語だけの青春』の文章も素晴らしかったが、それに劣らぬ名文。平易だが、心地よいリズム感がある。その心地よさに身を委ねていると、深い思索が、さりげなく、すっ、すっと差し込まれてきて、それにも感銘を受けることになる。マイナー言語をものにしてしまう言語オタクたちの「日本語力」こそやばい、と常々敬意を払ってきたつもりだが、この著者もすごかった。油断していた。

さて、著者は、なんとか大学には通ったものの、そこで力尽きて実家の自室に引きこもり映画を見る日々を送る。やがて日本未公開映画の批評をネット上に書くようになり、そこでルーマニア映画に出会い、衝撃を受けるのだ。そこまでを書いた冒頭からP28ページまでの文章は特に見事で、まさに読む快楽を味わえる。

さらに著者は、独学やNetflixのコンテンツ、Facebook上でのルーマニア人たちとの交流などを通じてルーマニア語を磨きあげ、来日したルーマニアの映画監督、アドリアン・シタルとついに対面する。著者の純粋さに、思わず涙が出る場面だ。

そしてルーマニアの小説家たちとも交流を持ち、一度もルーマニア行くことなく、千葉に引きこもったまま、自作小説や詩がルーマニアの文芸誌に掲載されるようになるのである。

一方で「使える本」でもある。Netflixの活用やFacebookで現地の人と繋がりながら語学を習得していく戦略、「好き」に裏打ちされた真剣な努力、ダメでもしょうがない、と勢いでお願いしていく積極性、もし何か目標があるなら、全部参考になる。

さらに言語オタクならではの記述も面白く、P100ー104の、『推し、燃ゆ』(宇佐見りん著 2020年芥川賞受賞)のタイトルをどうルーマニア語に訳すかをめぐる「翻訳問答」など、言葉をめぐる極めて興味深い指摘も多くある。

ともあれ、何より、純粋に、真剣に、好きを突き詰めていくって本当に素晴らしい! と素直に感動させられる作品だ。文章のリズムに乗せられて、一気に読め、感情をゆさぶられると同時に知的好奇心も存分に満たしてくれる。真に楽しい読書体験に浸ることができるのだ。

『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸著)