『アナロジア AIの次に来るもの』

前回ご紹介した『BRAIN WORKOUT』とはまた違うが、『アナロジア AIの次に来るもの』もコンピュータと人間の未来を示唆する作品だ。『BRAIN WORKOUT』が具体的にこの先の未来への対処法を展望した本だとすると、本作は科学史的な視点から、デジタルとアナログを対比させつつ、深い知性と教養をもって、人間とコンピュータの過去と未来を抽象的に語る。

デジタルは、0と1で表されるもの、と思いがちだが、本書によればそれに限らず、離散関数全般、簡単に言えば「数えられるもの」で、一方のアナログは連続関数。デジタルの世界では1と2の間にはなにもないが、アナログの世界では例えばグラフ上のx軸の点である1と2の間には無限の点が存在している、と書けばわかりやすいだろうか。

18世紀にライプニッツが構想したのは、離散関数を使ったデジタルコンピュータだった。連続関数を利用したアナログコンピューティングを構想する可能性も十分にあったにもかかわらず、ライプニッツはデジタルを選んだ。200年が過ぎ、真空管とパンチカードを使った原始的なデジタルコンピュータが現れ、あっという間に、コンピュータが人間の知能を凌駕するとも言われる時代が訪れるのだ。

そんな議論から本書は始まるが、その直後に船舶によるベーリング海探検と先住民との出会いや北米での白人によるアパッチ族追討作戦などへと話題が移っていく。内容は極めて興味深いのだが、「自分はいったい何の本を読んでいるのか? 著者の議論はいったいどこに進んでいくのか」という疑念が湧いてくる。やがて話題は真空管に移り、戦後の量子力学に辿り着いて、科学的になってきたと思いきや、またカナダの開拓や探検、ツリーハウスでの原始的な生活の記述へと後戻りしたりする。

それらの話題は、最終章「連続体仮説」で見事に回収される。最後に著者は、アルゴリズムの時代が終わり、機械と自然が互いに近づく時代、機械と人間、どちらかが主導権を握るのではなく、そもそもAIをはじめとするテクノロジーの複雑さを人間が理解しようがない時代の到来を示唆する。それは自然がもたらす科学を人が理解できず、スピリチュアリティに頼った原始時代のような風景かもしれないのだ。

知性と教養を堪能する喜びに満ちていて、読んでいてひたすら楽しい時間を過ごせる。著者が仕掛けた知の迷宮を歩き、予測し難い未来に思いを馳せる時間は格別だ。

『アナロジア AIの次に来るもの』(ジョージ・ダイソン著 服部桂監訳 橋本大也訳 早川書房)