『なぜ世界はそう見えるのか 主観と知覚の科学』

最近私は人と人を仲裁することが続いていて、帯に書かれた「全員が同意する『客観的な世界』は存在しない」という文章に思わず惹かれて、本書『世界はなぜそう見えるか』を購入してしまった。仲裁の際、同じ経験をしているのにお互いの認識がまったく違うことを不思議に思っていたからである。

本書の主題は「人は世界をどう認識するのか」について。例えば「見ること」は、目が情報を受け取り、脳がそれを処理して世界は正確に知覚される、と伝統的に考えられてきた。だからこそ、人は歩いたり、走ったり、ものを掴んだり、何かを避けたり、といった行動ができるというわけだ。しかし、本書によれば、われわれは世界を正確に把握することはできないし、正確に把握しようともしていない、という。

人は、自分が能動的な行動との関係においてものを知覚しているのだ。絶好調のプロ野球選手がボールを打つとき、ボールは実際の大きさより大きく見える。体力がある人は坂の傾斜角度を低く見積もる。正確ではまったくなく、人間の状態によって世界は伸び縮みする。それは知覚が「人の状態と行動」に紐付けられているからなのだ。
念のために書いておくが、本書が取り上げているのは、いわゆる錯視の問題ではない。人間の環世界におけるアフォーダンスの問題だ。

さまざまな実験結果を紹介しつつ、本書は、歩く、手を動かすといった行動、どんな言語を話すか、恐怖やうつなど心の状態、他者とスキンシップを取っているかどうか、どんな集団に属しているかなどが、知覚を大きく変えることを解説していく。

読み終われば、「たしかに自分はそれを正確に見た」と確信するようなことがあったとしても、その確信が誤りであることを納得するしかない。客観的な世界など存在しないことを実感すれば、むしろ誰も「絶対的な正しさ」を振りかざすこともなく、争いも減るのではないか。今度トラブルの仲裁をすることになったら、本書を渡そうかとも思ったが、まあたぶん読んでくれないだろうなぁ笑

『なぜ世界はそう見えるのか 主観と知覚の科学』デニス・プロフィット/ドレイク・ベアー著 小浜香訳 白揚社