『引き算思考:「減らす」「削る」「やめる」がブレイクスルーを起こす』
『引き算思考』という日本版のタイトルとその装丁は少し誤解を招くかもしれない。本書は「『引き算思考』なる思考法がビジネスや人生に役に立つ」といったハウツー本ではない。原著タイトルにあるように、減らすことをめぐる人間、そして生き物の科学を、さまざまな実験や事例を示しながら論述した、いわゆる「ポピュラー・サイエンス」のジャンルに属する本である。
さまざまな研究や実験から、人間は減らすことより足すことを選好することがわかる。例えばレゴで橋を作るとき橋脚の高さが違って橋を水平にできないとき、人はどちらか一方のブロックを足して同じ高さにしようとする(ブロックを減らしても水平にできる、としてもだ)。鉛筆で書かれた非対称な図形の中心に線を引いた図を示して、線対称にせよ、という問題を出すと、人は線を消しゴムで消すのではなく、線を書き加えようとする。
そのような人類の傾向と反対に、足すのではなく、引くからこそ効果が生まれた様々な事例も紹介する。サンフランシスコにおける高速道路の撤去は、多くの市民や企業から反対されたが、その結果は美しい景観が戻り、交通上の問題は生じず、経済効果はプラスだった(それでも「足し算こそが正義」と考える人達により撤去計画の立役者は解任された)。小さな子ども用の自転車であるストライダーは、自転車に転ばぬように補助輪を「足す」のではなく、ペダルそのものを除去してしまった。それにより小さな子たちは自転車を乗る際の体幹の使い方を覚えることができ、成長とともに難なくペダル付き自転車に乗れるようになる。逆に補助輪に頼ると自転車ならではの体重移動が学べず、なかなか自転車に乗れるようにならないのだ。
人類だけでなく、生物の多くが足すことを良しとする傾向がある。食料をいかに蓄えられるか、という視点で考えれば、そのように足すことを好むものたちが自然淘汰の中で生き残って今がある、というの納得できる。だが、上記のような傾向を持つからこそ、視点を変え、引き算するという観点でものごとを考えることがイノベーションや改革につながるのだ。
本書が書かれたアメリカとは違い、日本にはそもそも引き算を美徳とする文化もある。文章を書く人やデザインをする人、システムを構築する人、プログラムをつくる人などにとって、引き算をすることはおそらく常に意識しているだろうし、その効果も日々実感しているのではないだろうか。私自身も、もう取り除くのは無理、ところまでやってから、外部の要請でさらに頑張って取り除いていったら、驚くほど結果が良くなった、ということを何度も経験している。
とはいえ、そんな引き算の効果を理解しているつもりの私も、積読本は増える一方で本棚から溢れ、ガジェットやギア好きのせいでさして使わないものが増え、それを収めるため、「倉庫を買う」というさらなる足し算をしてしまったりもする。つまり気を抜くと、すぐに「足し算」に流れてしまうのだ。
本書を読めば、引き算の意味と効用をより明確に理解でき、日々の生活の中でさらに意識的に運用できるようになるはずだ。仕事で何かがうまくいかないとき、つい「何が足りないのか」と考えてしまうが、最近はまず、「なにか余計なことをしていないか」という視点を持つようにしている。これはなかなか効果的だ。
冒頭でビジネス向けのハウツー本ではない、と書いたが、結果として本書はビジネスにもものすごく役に立つ本なのである。
『引き算思考:「減らす」「削る」「やめる」がブレイクスルーを起こす』ライディ・クロッツ著 塩原通緒 訳