第84回 「老辺餃子館」で思い出した「雑誌懸賞」の闇、編集部vs広告部の不毛な殴り合い

中学生のときに長患いをして、1ヶ月ほど入院していたことがある。病室にはテレビすらなく、手持ち無沙汰この上なかった。

同級生が時たま学習プリントを届けてくれたりして、何しろやることがないから致し方ない、勉強でもやるか。という気にはまったくなれない。

そうなると、本や雑誌を読むしかないのである。あの1ヶ月は、ほんと何でもよく読んだな。とりわけ、雑誌はジャンルを問わず読みまくった。何を読んでいたのかは、今となってはすっかり忘れてしまったのだけれど。

昨今は雑誌もまったく読まなくなったので(23年間も雑誌記者をやっていたのにね)、様子が分からないのだが、その頃の雑誌には必ず「懸賞コーナー」があった。

1~2ページくらいの欄に、いろんな賞品・景品が出されていて、ハガキを出すと抽選で当たる仕組みだ。大して欲しいものもなかったのだが、時間が有り余っているから、せっせとハガキを書いた。

1ヶ月で5~6件も当たっただろうか。高価な景品は何ひとつなかったが、「けっこう当たるもんだな」と感じさせられたものだ。

などという、一生忘れていそうな話をなぜ思い出したかというと、つい先日のこと新宿を歩いていたら、「老辺餃子館」の看板を見かけたからである。

20代のころに一度だけ来たことがある店だ。「店のクーポンがあるから、おごるよ」と同期の広告部員が連れていってくれた次第。

餃子専門店だからタカも知れているが、それでも同期は5~6人はいたような気がするし、酒もけっこう呑んだ。勘定は2~3万円はしたのではなかろうか。

呑みながら「店のクーポン」の出どころを訊いたら、ビジネス週刊誌の懸賞コーナーの賞品だというから驚いてしまった。

スポンサーが出した賞品を勝手にガメて、身内で呑み喰いに使ってしまったというわけだ。「めったに」やらないよと言っていたから、「たま」にはやっていたのだろう。もしかすると、「しょっちゅう」だったかもしれない。

こういう懸賞の決まり文句として、「厳正なる抽選によって」というのがあるが、抽選も何もないから、厳正もクソもないし、当選者もいない。

すべての懸賞がそうだというわけではもちろんないし、古き良き昔(良くはないか)の話ではあるにせよ、笑って済まされるものではないだろう。

出版社(とりわけ、ビジネス誌を抱えている)の編集部と広告部は、そもそも犬猿の仲であることが多いのだが、この一件以降は広告部に対する不信感が拭えなくなり、種々雑多な軋轢を生じることになった。

たとえば、スポンサー企業に対して批判的な記事を書いたとしよう。すると、広告部から間髪を入れずに抗議が来る。「週刊誌に広告を出してくれなくなるじゃないか」というのだ。

こちらは馬耳東風である。ちょっとやりすぎかなと思いながら、同じスポンサー企業をたたいたりもする。広告からクレームが来る、の繰り返しである。

「広告を出してくれなくなったら、おまえ責任を取れるのか」と言われたので、売り言葉に買い言葉で「だったらスポンサーのとこに連れていけ。俺が直接話をつけてやる」と言い返したことがあった。

何かゴニョゴニョ言ってるから問いただしてみると、広告部員はスポンサー企業とダイレクトにやり取りしているわけではないのだという。したがって、「連れていけ」と言われても、連れていくことができない。

聞けば、電通が押さえた枠から広告の割り当てがくるので、記事に対するクレームもスポンサー企業→電通→広告部という流れになるのだそうな。

心底、アキレタ。

電通が投げ与えてくれるエサを喰って、電通に尻尾を振るイヌのようなもんじゃないか。と思ったが、さすがに口にはしなかった。それを言っちゃあオシマイよ、である。

閑話休題。

ビジネス週刊誌の場合、犬猿の仲といっても、しょせん編集部優位であって、広告部から文句がついても屁とも思わない。

しかしながら、それは雑誌の世界ではかなり特殊なことなのかもしれない。

というのも、筆者が関わっていたころ、ビジネス週刊誌の収入は、書店売上・定期購読が半分、広告が半分だった。これは、雑誌としては非常識なくらい広告比率が低いのである。

パソコン雑誌などは、誌面のほとんどが広告だったりする。記事にもスポンサーがついていることが多い(「ペイドパブ」という)。いわば、広告を掲載するために雑誌があるようなもので、記事は刺身のツマにすぎない。

そうなると、広告を出してくれるスポンサー企業は神様のようなもので、批判するなどは以ての外だ。編集部と広告部の力関係も、広告部優位になるのは当然の成り行きだろう。

つくづく、ビジネス週刊誌でよかったと思う。と同時に、広告部員に刺されなくてよかったなとも今更ながらに思う。