1997年、再び金融担当に配置換えとなった。挨拶回りをしている最中の11月3日、三洋証券が倒産する。バブル絶頂期に世界最大級のトレーディングルームを建設し、証券業界の風雲児と呼ばれた土屋陽一社長には何度もインタビューしたことがあったが、このときばかりは梨のつぶて。大蔵省、4大証券などの周辺取材で何とか記事はまとめたものの、そこからが史上空前、疾風怒濤の金融危機講談の始まり始まり?。である。

三洋証券破綻の衝撃もさめやらぬ11月15日、今度は北海道拓殖銀行が倒れる。拓銀は曲がりなりにも都市銀行の一角であり、「大手銀行は1行たりとも潰さない」という大蔵省の公約が反故にされたことで、金融市場はパニックに陥った。

11月15日の夜には札幌に飛び、拓銀破綻の取材に取り掛かる。翌16日は日曜日だったが、休日返上だ。取材の合間に編集部から緊急連絡が入った。

「次は山一証券らしいぞ」

三洋証券が11月3日、拓銀が15日。で、16日には「次は山一」である。札幌取材は2日で切り上げ、17日(月)には帰京。さっそく大蔵省、山一関係者への接触を開始した。バブル時代に証券業界を担当していたので、人脈は山ほどある。が、みな一様に歯切れが悪い。天下の山一が潰れるほど隠れ損失はふくらんでいるのか。肝腎のところが今ひとつつかめないのだ。

それから1週間もたたない22日未明、日本経済新聞が「山一証券、自主廃業へ」のスクープを配信する。その日の早朝から臨時取締役会が開かれ、知り合いの役員は全員本社に缶詰にされる。

海外担当の副社長だけは本社にいないことはつかんでいた。彼は特命を帯びてスイスに飛び、某外資系銀行との提携交渉に臨んでいたからだ。事実上の身売りであっても、山一の名前だけは残したい。という異国の空の下で、自主廃業のニュースを聞かされる羽目になった無念はいかばかりであっただろうか。「もう少し時間があれば」と後日悔しそうに打ち明けたものだ。

拓銀、山一が相次いで倒れたことで、日本の金融機関の信用は地に堕ちた。国際金融市場では「ジャパン・プレミアム」と呼ばれる上乗せ金利が発生し、邦銀のドル調達が著しく困難になる。上乗せ金利を払ってでも調達できればまだしも、「負け組」と噂される金融機関は資金繰りにも支障をきたす有り様となった。邦銀の不良債権拡大、資金繰りの悪化によって、中堅中小企業に対する貸し渋り、貸し剥がしの嵐が吹き荒れ、日本経済は氷河期に突入していく。

余談になるが、ここまでのカレンダーを振り返ればわかるように、三洋も拓銀も山一も揃って週末に潰れている。これは取り付け騒ぎや信用不安の拡大を避けるために、休日に対策を講じる必要があるからだ。したがって、取材する側も文字通り「無休」で働かされることになった。と今だから書けるが、当時は休みが欲しいなどと思う暇すらないくらい目まぐるしかった。

寒い冬だった。拓銀が倒れたあとの札幌には2度訪れ、地域金融の柱がぶち折れた北海道経済の混乱を追った。当時の取材メモをめくってみよう。

丸井今井と地崎工業。北海道を代表する百貨店とゼネコンが当面の焦点だった。メインバンクは拓銀で、いずれも経営危機に陥っていた。百貨店もゼネコンも取引先のすそ野は広く大きい。潰れれば、北海道経済への打撃は甚大だ。

拓銀の受け皿銀行となったのは北洋銀行。格下の第二地銀が都銀を呑み込む異例の営業譲渡である。その北洋銀行のさじ加減ひとつで、丸井今井と地崎工業の「天国と地獄」が決まる。

当時の北洋銀行頭取はこう言い放ったものだ。「うちと丸井今井の本店は目と鼻の先にある。毎年の中元、歳暮もずっと丸井今井で買っている。でも、丸井今井の社長は一度だって挨拶に来たことはないよ」。記事に書けば丸井今井倒産の引き金を引きかねないから、もちろんオフレコ扱いにはしたが、これは救済するつもりはないな、と一発でわかった瞬間だった。

その頃、丸井今井はJリーグのコンサドーレ札幌のメインスポンサーでもあった。丸井今井が窮地に陥れば、チーム運営もままならなくなる。もう1社のメインスポンサー、「白い恋人」で有名な石屋製菓社長に札幌市内のホテルでお会いしたが、「うちにしわ寄せが来るのは困る」と真っ青になっていたことを昨日のことのように思い出す。

街金にも話を聞いた。「地崎工業の約束手形は額面の10%でも割引できない」。1億円の約束手形が1000万円でも換金できない、という意味である。
地崎はすでに死んでいる、という宣告である。地崎の下請け業者は凍りつく思いで手形を抱えたまま決済期限が来る春先を心待ちにするしかなかった。

北洋銀行の資産規模は拓銀の5分の1程度に過ぎず、不良債権予備軍をごっそり抱え込む余力などない。拓銀から融資取引を受け継ぐか、もしくは不良債権扱いにして整理回収機構送りにするか。融資先にしてみれば「生きるか死ぬか」である。丸井今井、地崎工業のみならず、北海道の中小零細企業がこぞって北洋の判断をかたずをのんで見守った。

北海道庁は全力を挙げて、中小零細企業の資金繰り支援に動く。道内金融機関の緊急融資に対して、行政の特別信用保証をつけたのだ。「最後は道が責任を持つ。目をつぶって貸してほしい」と言ったとか言わなかったとか。資金繰りに困っているわけでもない街金がダメ元で信用保証を申し込んだらカネを借りられたというから、往時の混乱ぶりが目に浮かぶようだ。

不良債権問題、貸し渋り・貸し剥がしに対応するため、98年3月には大手銀行に対する公的資金注入が実施される。が、春はまだ遠い。拓銀・山一で火がついた金融危機は第二幕に突っ込んでいく。はてさて、どんな騒動が起こるのか。これからが面白いところだが、続きはまた次回に。