第13回 「AI」と「就活」、そして「人事考課」にまつわる雑感

前回は「新入社員時代の思い出」について、どうでもいいことを長々と記したが、そんな矢先にまことに興味深い新聞記事が目に留まった。

”就活ルールを考える(下)「人間の選択」絶対視避けよ~データ・機械で自動化一案”

10月23日付けの日本経済新聞朝刊で、エール大学助教授の成田悠輔さんが寄稿したものだ。

全国の就活を仲介するデータ・計算基盤を電脳空間上に作るというアイデアで、成田さんはこの基盤を「就活機械」と呼んでいる。

就活生と企業がそれぞれ就活機械に登録。就活機械が就活生の希望・好み、企業側のニーズを分析し、自動的にマッチングさせる。

AIを活用することによって企業・学生の意向を学習するので、就活機械のマッチング精度は年年歳歳、進化し続ける。

と、まァこういう趣旨だ。

一読して、これは凄まじいイノベーションではないかと思わず膝を打った。

採用面接を一度でもやったことのある方ならお分かりだろうが、あれは実に難しいものである。たかだか15分やそこらの面接で、就活生のひととなり、能力、資質について判断が下せるはずがない。

なので、複数の面接官によるスクリーニングを経て「内定」を出すわけだが、結果は「失敗だった」という反省は採用のたびにつきまとう。成功例より失敗例のほうが多いくらいだ。

かたや、就活生にとっては、どうか。インターンシップ等によって、産業・企業の実際を知る機会が多くなってきたとはいえ、しょせん学生は学生である。
自分に最も適した職業、自分を最も活かすことができる会社のことなど、わかるはずがない。ほとんどの学生には「これがやりたい」という一心などなく、なんとなくイメージや体裁で就職先を選んでいる。というのが本音であろう。

また、「これがやりたい」という一心がある学生についても、そもそもその思い込みが間違っている。という可能性だってある。

またしても長々と書いてしまったが、とどのつまり就活というものは、就活生・企業がともに「サイコロを振っている」にすぎないのだと筆者は常々思っている。

そうであれば、いっそAIにすべてお任せにしてしまったほうがいいのではないか。

時代は大きく変わっている。今や「石の上にも三年」は死語と化し、新入社員は3年もたたずに転職を繰り返している。

昔のような終身雇用が前提であれば、就活の間違いは人生最大の過ちとなったであろう。
しかし、「この会社が自分に合わないなら転職すればいいや」ということであれば、人手をかけようがAI任せにしようが、結果は同じである。間違ったら、やり直せばいいだけの話だ。

人手をかける就活は「サイコロを振っている」だけだが、AIはビッグデータに基づいて就活生・企業双方のニーズを学習する。「結果」においても、必ずやAIのほうが勝るはず。

話がくどくなって恐縮だが、たとえAIのマッチング精度が低かったとしても、やはり旧来のように人手をかけるべきだという話にはならない。「間違ったら、やり直せばいい」のである。それは、人手をかけてもAI任せにしても同じことなのだ。

という程度の「就活」について、就活生・企業は莫大な時間とコストを投じている。大学1年生から就活を考えなければならない、って何のための大学なんですか。企業も然り。大量の人員・予算を投入して優秀な学生の確保に奔走し、失敗を積み重ね続けることの虚しさよ。

閑話休題。

就活に人手をかける前提で言えば、出版業界の場合は(あるいは他業界でもそうかもしれないが)、学生を評価する視点は少なければ少ないほうがいいと思っている。

なまじ、作文が上手い、英語力がある、時事知識が身についている、リーダーシップがある、協調性がある。などという項目を積み上げていくと「合成の誤謬」でロクな結果にはならない。というのが実感だ。作文やら英語やら時事知識やらは、入社したあとでもいくらでも何とでもなる話である。そんなの、採用する時に重視したって意味がない。

では、どこで学生を評価するか。第一に「読書体験」である。それも、高校・大学ではない。幼時の読書体験だ。子どものころ、どこに行くにも本を手放さなかった。という学生は、必ず文章力の素養はある。入社試験の作文が不出来でも、これなら記者として最低限の文章は書けるな、と思う。

第二に「食べ物の好き嫌い」である。面白いなぁと常々感じるのだが、食べ物の好き嫌いが激しいあなたは、ヒトの好き嫌いもまたモーレツことが多い。
で、ヒトの好き嫌いが多いやつは協調性に問題があっても、個性的で好奇心が旺盛だったりする。雑誌の編集部には協調性なんて要らんからね。個性と好奇心は、読者の興味を惹く誌面づくりにとって必須であるものだからして、これこそがキモだ。

読書体験に基づく評価は、たいてい狂いがない。高校・大学とほとんど本を読んでない学生でも、「子どものころは夢中になって読みました」ということであれば、まず大丈夫。

しかし、「食べ物の好き嫌い」は、よく間違えましたね。しょせん、尺度をシンプル化しても、「サイコロを振っている」ことに変わりはない。したがって、AI任せにしたほうがいいに決まっているのです。

と書いていて思ったのだが、就活だけじゃないね。これは。

企業において最も厄介な「人事考課」。これもAI任せにしたほうがいいでのはないか。とも実感する。

多くの大企業を見ていると、人事評価の仕組みが複雑怪奇、スパゲッティのように多様化していて、これまた「合成の誤謬」が生じている。目標管理制度の「点取り虫」みたいなやつが、どこの会社にも必ずいて、大した成果も挙げていないのに査定は高い。とか、あべこべに会社に大きく貢献しているのに、意外や評価が低い。なんて、読者のみなさんも思い当たるところがあるでしょう?

あれは、人間が評価するから、ああなるのですね。いっそ、AIに評価してもらったほうが不公平感・不平等感は少なるのではないか。

というわけで、毎度のように話はとっちらかってしまうのですが、また来月。
お付き合いのほどをお願い申し上げます。(了)