第93回 エリート官僚のために一肌脱ぎ、「文通」で付き合いが深まった思い出
”文通の歴史は、日本国内では古代から存在し、平安時代には貴族の間で盛んに行われていました。その後、戦後にはペンフレンドブームが到来し、雑誌の投稿欄などで文通相手を募集する動きが見られました。現代では、インターネットやSNSの普及により、文通の文化は衰退しましたが、依然として文通を好む人々がいます。?”(Google検索の「AIによる概要」)
昨今は、手紙を書くという文化がすっかり廃れてしまったが、昭和30年代、40年代には十代の中高生の間でも盛んだったらしい。主として雑誌の「文通相手募集欄」で知り合うわけだから、住んでいる場所などは関係ない。北海道と沖縄の間で手紙をやり取りし、とうとう実際には会うことはなかった、などという話も珍しくなかったようである。
男女交際には何かと世間の目がやかましかった時代のことだ。男性同士、女性同士の文通というのももちろんあったには違いないが、やはり男性と女性が胸をときめかせながら手紙をやり取りする、というのが、本筋のようである。今回は、ひとつそんな思い出話をしてみたい(もちろん、自分自身の話ではない)
ある日のこと、郵政省(現・総務省)の幹部と呑んでいた時に、「あなたは◯◯高校の出身だったよね?」と訊かれた。「そうですよ」と返すと、「実は、お願いしたいことがあるんだ」とくすぐったいような顔をして、こう切り出したのである。
「高校生の頃、あなたの高校の女学生と文通していたことがあったんだ。そのうち受験勉強に手が着かなくなって、一方的にこちらからやめちゃってね。お互いの顔写真を送り合ったりもしたんだけど、住んでる場所も離れていたし、とうとう会えずじまい。一度、会って謝りたいんだよ」
単なるいい人なのか、助平な下心があるのか。確と分からないところではあったけれど、郵政省の中では将来の事務次官候補に挙げられていた御仁だったので、「ここで恩を売っておけば、後々のリターンは大きい」と睨んで、一肌脱ぐことになった。
とは言うものの、大した手間ではない。高校の同窓会事務局に電話をかけて、名前と卒業年度を言えば簡単に教えてくれた。よく憶えていないが、「クラスの同窓会を開きたいけど、連絡先が分からないんです」とか何とか言ったと思う。
個人情報保護法などカケラもなかったので、こちらの勤務先やら電話番号やらも一切訊かれず、名前(本名です!)を伝えただけで、あっさり教えてくれた。当の郵政省幹部が同じように電話をかけても、同じように教えてくれただろうと思う。したがって、売るほどの「恩」もないのだが、先方はたいそう喜んでくれた。
こんな些細なことで、付き合いが深まることもある。郵政省が自治省、総務庁と合併して総務省になり、その幹部は事務次官にこそなれなかったものの、総務審議官(事務次官級ポスト)にまで出世した。
その間、ずいぶん酒も呑んだし、情報も教えてくれた。総務審議官を辞めて、民間会社に天下りした時には、接待費が有り余っていたらしく、逆によくご馳走してくれたものである。これも「文通」のおかげだと今でも思っている。
ところで、冒頭の「AIによる概要」のことだが、「依然として文通を好む人々がいます」という一文が気になったので、少しばかり調べてみた。
『文通村』(fumibito.com)というサイトがあり、そこには約2300人の「村人」がいて「手紙」による文通を楽しんでいるのだという。個人情報を明かさずにやり取りできる仕組みになっていることから、そこそこ人気もあるようだ。
正直言って、驚いた。メールもSNSもあるのに、わざわざ手紙を書くという発想は、どこから出てくるものだろうか。
しかしながら、自分自身の中高生時代を振り返って、なるほどなぁとも思った。文通体験こそなかったが、付き合っていた女の子と一寸した手紙の交換は毎日のようにしていた。取るに足りない中身だが、手書きの文字を通じて伝わってくる温かみが好きだった。
付き合いをやめる時には、みかん箱(これも文通と同じく「死語」に等しいが)に1つくらい溜まっていて、みんな捨ててしまったが、今にして振り返ると惜しかったなという気がしないでもない。もっとも、読み返せば必ず小っ恥ずかしくて死にたくなっただろうから、やはり捨てておいて正解だったのだろう。
何を書いているのか、分からなくなってしまった。郵政省幹部に話を戻そう。
後日に呑んだ時に、「ところで、彼女に連絡は取ったんですか?」と尋ねてみた。連絡どころか、すでに食事に誘ったという。仕事が早いね(笑)。「で、どうなんです? 二度目、三度目もありそうですか」と水を向けると、間髪を入れずにこう言った。
「妙な気なんか起こすもんじゃないね。二度と会うことはないよ」
その言葉だけで、彼女の容色や会食の様子まで何となく想像がついて、思わず笑ってしまった。昔の記憶は、そっとしまっておこう。下手に揺り動かすと、美しい思い出まで台無しにすることになりかねない。