第29回 NTT分割問題を追いかけた、「あの頃」

経済誌記者としては、銀行・証券等の金融担当が長かったんだけれど、エレクトロニクス・通信も7年くらいやりました。1991年~98年のことです。

これにはワケがあって、当時は「NTT分割」が社会問題になっていたんですね。巨大なNTTを分割しようともくろむ郵政省(現在の総務省)、それをなんとしても阻止したいNTT。

両者が政財界を巻き込んで、くんずほぐれつてんやわんやの大騒動を繰り広げていたわけだ。

で、前任の担当記者からの引き継ぎ事項には、「NTT分割問題が決着しない限り、担当は変えない」という決まりがあり、7年もやることになったという次第です。

編集部と郵政省は、道1本しか離れていなかったので、始終入り浸っていました。あのころは、入館カードとかもなかったし、やりたい放題。

週末になるとね、分割問題のカギを握る郵政幹部から電話がかかってくるんですよ。

「お、休みなのに出勤ですか。感心、感心」

で、呼ばれましたか?、って感じですっ飛んでいく。味噌汁の冷めない距離だからね、これは大きなアドバンテージだったと、今でもありがたく思っているのです。

電話をかけてくる幹部はエラい人なので、その部下もしょうことなしにぞろぞろと休日出勤してくる。

みんな、陰では口々に上司の悪口を言っててね。そういう話題で一体感が生まれるのよ、記者と取材先の(笑)。

夜になると、行く先々で冷蔵庫からカップ酒が出てくる。みんな酒が強くてね、省内を3~4人も回るとヘロヘロになったものでした。

でも、呑みながら話をすることで得られるものは大きかった。郵政官僚ってわりに朴訥で、財務省とか経済産業省よりも付き合いやすいんだ。こう言うと怒られるだろうけど。

NTT分割の賛否については、経済界も真っ二つに割れていて、わかりやすく言えば交換機を納入している日立製作所、NEC、富士通、沖電気工業なんかは、絶対反対なんですよ。

この4社は「電電ファミリー」(電電はNTTの前身の日本電信電話公社の略)と呼ばれていて、NTTから巨額の発注をもらっているので、言いなりになるしかない。

かたや、電力会社(とりわけ東京電力)は、積極的に分割論を仕掛けて、NTTの反感を買っておりました。

同じインフラ系、同じお役所体質だしね。似たもの同士ゆえの近親憎悪もあったんでしょう。

東電はTTNetという子会社経由で通信事業にも進出していたし、分割によってNTTの絶対的優位を崩したい。という計算もあったし。

郵政省だけでなくNTTにも食い込まなければならないので、これまた多くの幹部連中と親しくなりました。

面白いなあと思ったのは、労働組合対策。会社がでかいから、組合もでかい。すると、労組対策って、最も大きい経営課題になるわけだ。労組が動かないと、会社が動かない。

そういうわけで、「労働部」がけっこう主流をなしていくわけですね。そういう系譜を頭に入れておくと、人脈づくりがやりやすい。

労組対策は、なにもNTTだけの問題ではなく、インフラ系でお役所でという会社に共通する問題なんです。

NTTの労組、「全電通」に対して、宿敵の郵政省には「全逓」があったし、JR(旧国鉄)は言うに及ばず。こういう会社では、労組対策を上手くやらないと絶対に出世できない。

今、労働組合の組織率が低下していて、影響力もさほどではなくなってきたので、昔ほど重要じゃなくなってはきたけれど、いまだ無視できない急所なんです。

 

NTT分割問題は1996年に決着して、現在のNTT東日本、NTT西日本、NTTコミュニケーションズになるわけです。

郵政省は分割という「名」を取り、NTTは持株会社方式による一体運営という「実」を取る、という痛み分けの妥協案でした。

これでお役御免。と肩の荷をおろした気分になったのだけれど、エレクトロニクス・通信担当はなぜか98年まで続きます。

エレクトロニクスって一口に言っても、会社を挙げれば日立製作所からIBM、キヤノン、富士フィルム、横河電機、明電舎とか一切合切含まれるわけだ。

こっちはNTT分割問題主体で取材してるし、ひとりじゃ手が回らないっつうの。

でも、守備範囲が広いおかげで、顔も広くはなりましたね。今でも付き合ってる方々、少なくありません。

なんだか、今回は真面目な(ありきたりな)話になっちゃったな。次回は、また羽目を外すつもりでいます(笑)