第30回 バブルの時代の「観桜会」、そして「記者懇親会」

このメルマガのクライアントや読者との兼ね合いで、できるだけ「特定の社名」を出して欲しくないのだそうである。

先月も編集段階で「社名」を削られたため、こちらとしては予め確認をしておかなければならないな。ということで、「この会社は大丈夫?」というお伺いを立てている。

今回は、ずばりNG企業の「ど真ん中」らしい(笑)。そんなわけで、「特定の社名」は出てこない。想像しながら、お楽しみください。

新型コロナウィルスが吹き荒れているせいか、今年は「花見」の話題がことのほか少ないような気がする。例年ならフェイスブックやらインスタグラムやらに桜の写真が咲き狂う時季なのだが、あまり見かけませんね。

「花見」の季節になると決まって思い出すのが、某大手ゼネコンが主催していた「観桜会」である。

「桜を見る会」っていうのは今も昔も問題になるようだが、これはすごかった。桜の木(枝じゃありませんよ)を何本も会場に並べて見せるのだ。

建設会社のことだから、重機で引っこ抜いてくるのだろう。豪快といえば聞こえはいいが、だいぶ荒っぽい。今なら許されないでしょうね、こんなの。

もっとすごいのは、観桜会の日に合わせて、「人力」で開花を調整するのである。直前に咲いてしまうような気配があれば、でっかい扇風機で冷やす。蕾が固いようならヒーターを使って、当日に満開になるよう調節する。

これをやらされる社員の立場を考えると、今でも落涙を禁じえない。

観桜会には、某大手ゼネコンの上得意先(発注者ですね)だけが招待されるので、記者はオフリミットだった。したがって、実際に見たことがあるわけではなく、某保険会社の社長から聞いた話だ(某、某と続くのは、冒頭に記した理由があるからだということを、改めてご承知置きいただきたい)。

バブルの時代ならではだ。

話は変わるが、記者だけを招待する会というのもある。「記者懇親会」と呼ばれるもので、豪勢なものになると一流ホテルの大広間を借り切る。会長、社長以下、ほとんど全役員が顔を揃えるものだ。

この「記者懇親会」で忘れられないのは、某大手エレクトロニクスメーカーである。

年末に某有名料亭の何十畳もある部屋に、かたや役員連中、かたや記者連中がずらりと一列に並び、向かい合って食事をいただく。1人ごとに膳部が整えられるという、これも今の時代では考えられない会ではあった。

食事が進む、酒が入る。だいぶ座の空気がほぐれてくると、各自席を立って思い思いに会話を楽しむ。なかには、仲の悪い役員、記者がいて、酔った勢いで殴り合いになりそうになったりする。こうなると、もう役員、記者が入り乱れてぐちゃぐちゃだ。

書いているだけで楽しくなってくるが、筆者はこの会社が大好きだった。古き昭和の良き時代を象徴するような大企業で、「世の中、気合いがあればなんとかなる」とほとんどの役員がそう信じていた。

ノルマが達成できないのは気合いが足りないからだ、という理屈も「働き方改革」なるものがうるさい昨今では許されないものであろうが、どこかノスタルジアを感じてしまうのですね。

バブルの時代ならではだ。

見てきたようなことを書いているが、実はこの記者懇親会にも一度も出席したことがない。なんとなれば、この会社の担当になったまさにその年に「料亭乱闘型」の懇親会は中止されてしまったからだ。

前任の記者から話を聞いて楽しみにしていた身とすれば、まことにガッカリさせられたものである。

料亭乱闘型がどう変わったかというと、普通にパーティーが終わったあとで、役員1人につき記者3~4人を個別に接待することになった。

筆者はたまたま社長と席を同じくすることになったので訊いたみたところ、「あのバカ騒ぎが嫌でしょうがなかった」と打ち明けたものだ。言うまでもなく、役員時代には「あのバカ騒ぎ」に巻き込まれた口なのである(笑)。

社長はこの年に就任したばかりで、この大企業とはおおよそ色合いが違った人物だった。気合いより理屈が先に立つタイプであり、これはこれで好ましいものもあったが、「昭和も終わったなぁ」としみじみ思ったことを、今でも記憶している。

閑話休題。

某大手エレクトロニクスメーカー(その2)には、経団連会長候補という声望も高かったスター社長がいた。記者懇親会ともなると、社長の周りに二重、三重の輪ができる。

広報担当者が近づいてきて、「会長が手持ち無沙汰にしているので、ちょっと話し相手になってやってくれませんか」という。

この会社に「会長」がいることを、恥ずかしながらこのとき初めて知った。

記者に囲まれて華やいだ雰囲気が漂う社長と違って、会長はポツネンと1人きりだった。なんとなく、会長の気持ちが思いやられた。

あれで、1時間近くもお話ししただろうか。なにしろ、その間に記者が1人も来ないのである。懇親会というものは、新しいゲストが輪に入ってきたタイミングをとらえて、別の輪へと動いていくものだ。

誰1人来ないものだから話を切り上げるタイミングを失してしまい、結局その夜は会長1人としか話せないまま、お開きとなってしまった。

今も記者懇親会はあるのだろうけれど、どんなもんなんでしょうねえ。

四半世紀も前から付き合っていた部長、副部長クラスが、今では会長、社長になっていたりするので、当時の話題で盛り上がることもあるが、やはり「今は昔の話」に落ち着くようだ。