第39回 ヤクザに拉致されて山に埋められた「怪人」の思い出

あけましておめでとうございます。緊急事態宣言再びというご時世ですが、本年もよろしくお付き合いくださいまし。

慌ただしい年の瀬にふっと思い出したことがあったので、新年にはいささかふさわしくない気もするのだけれど、あえて記すことにする。

今や生きているか死んでいるかもわからないので、さすがに実名を出すことは憚られるが、その昔の知り合いで「Sさん」という御仁がいた。

素性も商売も皆目わからない、正体不明の人物だった。名刺には名前と電話番号しか書かれていない(住所はなかったと記憶している)。あんなに不思議な知り合いは、そうはいなかったなと今でも思う。

Sさんと付き合っていたのは、1990年代初頭のことだ。バブル経済が崩壊し、不良債権問題がクローズアップされてきた時代である。

ある日、Sさんはふらっと編集部にやってきた。約束も何もない。いきなりやってきて、「不良債権問題の担当者に会いたい」と言ってきたのだ。たまたまそのタイミングに居合わせたことで、お付き合いが始まった。

第一印象からして、強烈だった。まず、オーデコロンの臭い(匂い、とは言いたくない)が異様にきつい。Sさんの名刺からは10年経ってもオーデコロンが漂ってきたほどである。ここは誇張してませんよ。

そして、右手には人差し指から薬指まで「人でも殺せそうな」くらいにゴツい指輪がはまっていた。メリケンサックかよ(と思ったら、実際に「メリケンサック」だった)

オーデコロンと指輪の謎についてはおいおい語るとして、Sさんの用件はいわゆる「タレコミ」だった。富士銀行(現・みずほ銀行)の隠し不良債権について詳しい資料を持っており、「記事にしてもらえないか」と言うのである。

かなり分厚い資料を持参していて、その場で目を通したところ、「内部資料」であろうという推察は直ちについた。「本物」なら第一級のネタである。「本物なら」、であるが。

その判断がつかなかったので、とりあえずはお引き取りいただいた。「資料はお預かりできませんか」と持ちかけてみたのだが、「記事にするという約束がなければ渡せない」と断わられた。そりゃ、そうだ。

が、その後もなぜか懲りずに富士銀行、熊谷組、山一證券あたりの不良債権リストなどを売り込みにくるのである。かなりの信憑性はあるのだが、しかし裏が取り切れない。

「資料を提供するから、記事を書いてくれ」とSさんは繰り返し言う。その真意もわからないものだから、迂闊に話に乗れない。記事が出ることで、どんなメリットがあるのか。何度も質したが、のらりくらりとかわされるばかり。

そんなわけで、結局一度も記事にすることはなかったのだけれど、Sさんの話はなかなか興味深くて、つい引き込まれてしまうのである。

その昔(その昔の、もっと昔である)、ヤクザに拉致されて、どこかの山に首まで埋められたことがあるそうな。スコップで何度か頭を殴られた末に解放されたというので、「そのまま埋められなくてよかったですね」と、つい口に出てしまった。

「あんた、一回埋められてみるかい?」

ごく普通の調子でそう言われたときは、思わずビビりましたね。「埋められてみたらそんな軽口はたたけないよ」と。

なぜ拉致されたのかは言わず仕舞いだったが、オーデコロンはそれ以来の「対策」なのだという。自らの足跡を「臭い」で残すって、あんたはイヌか?(笑)。しかし、本人は大真面目で、メリケンサックのような指輪(「指輪のようなメリケンサック」が正しいかもしれない)も同じく自衛手段なのであった。

あまりお近づきにならないほうがいいような気がして、いっしょに酒を呑んだことは一度もない。そもそも、応接スペースで1時間も話していると、オーデコロンで頭が痛くなってくるのである。

Sさんが帰った直後は、庶務の女性が窓を開け放して換気をしたものだ。それが真冬であっても。真冬の寒気がオフィスに流れ込んでくる、そんな記憶がこのクソ忙しい年の瀬にSさんを思い出すトリガーになったのかもしれないな。

昨今は、こういう怪人物がとんといなくなった(まぁ、Sさん級となると、昔も滅多矢鱈にはいなかったけれど)。正体不明のネタ元と綱渡りをするように付き合う、というのは記者にとってはひとつの楽しみなので、ちょっと残念な気もする。

Sさんの「資料」は一度も使ったことはなかったけれど、バブル崩壊の直後には某所から入手した極秘資料によって、日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)が抱えていた不良債権の全貌を暴露したことがある。

資料の出どころがはっきりしていたので公表に踏み切ったわけだが、この記事がきっかけになって日債銀は経営破綻に追い込まれた。

日債銀には友人知人も少なくなかったので寝覚めが悪かったけれど、この極秘資料入手については、また別のストーリーがある。興が乗れば、そのうち書いてみたいなとも思う。

では、また来月にお目にかかりましょう。