第46回 たった10ヶ月の「営業部長」、異次元の書店・取次体験

入社してから23年間、ずっと同じ週刊誌編集部で働いてきたのであるが、厳密に言えば10ヶ月だけ「営業部長」をやっていたことがある。

出版社の編集部門と営業部門には、(今はどうか知らないけれど)人事交流はほとんどない。にも関わらず、副編集長から営業部長に「昇格」した。と言えば聞こえはいいが、実のところは「島流し」である。

当時の編集長に煙たがられ、「飛ばされた」わけだ。その証拠に、10ヶ月後には編集長が交代し、同時に編集部に戻されることになった。1年にも満たない、異例の人事ではあった。

そもそも編集部から営業部への異動など皆無に等しいし、編集長との関係など社内事情もなんとなく伝わっていたらしく、当初は「腫れ物扱い」だったことをよく覚えている。根がぶっきらぼうで人当たりも悪かったので、努めて明るくニコニコしているように心がけていたことも懐かしく思い出す(笑)

「営業部長」ともなると、ひとり勝手に営業に回るわけにもいかない。第一、営業なんてやったこともないのである。かと言って、日がな机の前で鼻くそをほじっているだけじゃ退屈でならないし、性に合わない。

そこで全部員にお願いして、全得意先訪問に同行させてもらうことにした。「挨拶回り」である。得意先というのは大きく2つあって、まず書店、次に「取次」(問屋)だ。代表的なところでは、書店で紀伊國屋、丸善など。取次は日販、トーハンが両巨頭である。

迷惑に感じた部員も多かったに違いないのだが、そこは無理を言って主要書店、全取次をしらみつぶしに当たった。営業の行き帰りには、部員と世間話をしながら、営業のやり方、営業部の内情、部員が抱えている問題点を聞いた。これが案外、後々まで役に立ったように思う。「営業」は素人でも、「取材」は玄人だ。

夜は毎日欠かすことなく書店・取次のキーパーソンと酒を呑んだ。勘定は「部長決済」である。得意先はタダ酒が飲めるとあって、じゃんじゃん飛びついてくる。厄介に感じた部員も多かったに違いないのだが、そこは無理を言って切れ目なくスケジュールを入れてもらった。

驚いたのは、書店・取次を問わず、ほぼ例外なく「キャバクラ」好きであったことだ。書店などは夜8時、9時まで営業しているので、会食の開始時間も遅くなる。だいたい居酒屋チェーンの安い店でかんたんに腹ごしらえして、早々にキャバクラに出撃する、という日課が続いた。

それまでキャバクラには一度も行ったことがなく、何度行っても楽しくも面白くもない。「美味しいもの食べて、二次会はなしにしようよ」と部員に提案すると、「キャバクラなくして接待なし」という答えが返ってきた(笑)。

一度、某大手書店の担当役員が、「(自分の)行きつけのキャバクラに行こう」と喚いて、ぞろっかぞろっかとタクシーで三軒茶屋くんだりまで繰り出したことがある。贔屓にしている何とか嬢は生憎と欠勤しており、その役員の機嫌は最初から最後まで悪かった。

もちろん、勘定はこちら持ちである。こちら持ちでありながら、自分の行きつけの店に行こうとか、贔屓の嬢がいないと知るやあからさまに機嫌が悪くなるとか、それは社会人としてどうよ。とは思いませんか?

そんなこともあったが、概ね書店・取次の方々は人格円満で、編集という異次元から来たド素人の営業部長にも優しく、いろいろ内情を教えてくれた。それをいちいち書き連ねるだけで1冊の本になりそうだが、ここでは詳しくは触れない。

名刺を数えてみたら、10ヶ月で約2000人と会っていたことになる。よく歩いたし、よく呑んだ(もっとも、歩いたり呑んだりは、週刊誌記者も全く変わりはないのだが)。書店・取次の世界にも人脈はできた。

営業部に異動するにあたっては、「できるだけ早く編集部に戻してくれ」と担当役員に掛け合い、裏了承も取り付けていた。まあ、3年かな。と自分では勝手に考えていた。

ところが、冒頭にも記したように、10ヶ月で編集長が交代した。後任の編集長は、「すぐに(編集部に)戻ってくれないと、仕事が回らない」という。営業で大した仕事をしていたわけでもないのだが、しかし10ヶ月はあまりにも短い。

「もう少し(営業を)やらせてください」と言ったところ、「できるだけ早く戻せ、とおまえが言ったんじゃないか」とやり返されてグウの音も出なくなった(笑)。

編集部には「副編集長」として戻った。部長から「降格」となり、給料も下がった。それでも、書店・取次の方々からは「おめでとう」と言われ、営業部員も一様にホッとしていたのだから、世の中妙なこともあるものだ。

取材活動に復帰し、打ち込んでいくなかで、いつしか書店・取次の世界とは縁遠くなり、最近ではほとんど会うこともない。あの10ヶ月は、いったいなんだったんだろう。と今でも時たま思うことがある。