第62回 【追悼】中村邦夫・パナソニック元社長の「記事には決して書けない思い出」あれやこれや

パナソニック元社長の中村邦夫さんが亡くなった。享年83歳。松下幸之助が創業した松下電器産業をパナソニックに社名変更し、幸之助神話の創造的破壊に踏み切った辣腕経営者である。

しかし、中村さんには悪いけれど、以前にも書いたように松下は「松下」でないと、どうも調子が出ない。よって、本記事でもパナソニックの表記は得手勝手に「松下」で通したいと思う次第である。

中村さんと初めてお会いしたのは、今はもうない八重洲のお座敷天ぷら屋だった。松下の有力OBと親しく付き合っていた先輩記者から声がかかり、4人で会食することになったのだ。

先輩曰く、「◯◯さん(有力OB)が、紹介しておきたいひとがおるって言うねん。一度メシ食うから、おまえも来いや」。というわけで、金魚のフンみたいについていった。

中村さんは当時は専務だったが、名刺交換を終えるや、有力OBがこう言い放ったことを今でも憶えている。

「こいつはなぁ、目つきや顔つきはよくないが、運が良けりゃ10分の1くらいの確率で次の社長になれる男ですわ。かわいがってやってくださいよ」

目つきや顔つきはよくない、って(笑)。もっとも、実際によくはなかった。大企業の役員というよりかは、「その筋の大物」というのが正直な第一印象である。後年、社長になって角が取れてきたけど、専務当時はもっと顔が細くてシャープで視線に迫力があった。

会食では、有力OBと先輩記者が四方山話に花を咲かせており、筆者は自然と中村さんとサシで話すような塩梅になった。

そのとき、巨額の投資を注ぎ込んで失敗したユニバーサル(旧MCA)について、「あんなアホな買収はなかった」と断言したのは、ちょっとした驚きだった。

松下の幹部なら誰でもそう思っていただろうが、それを大っぴらに、しかも初対面の若僧記者にあれだけハッキリ言えるとは、なるほどなかなかのタマかもしれないな、と直感したものだ。

筆者が懇意にしていた某財界人を尊敬していると聞いたので、「近くご紹介しますよ」と間を置かずに3人で会食の機会を取り持った。

某財界人が鰻好きだったものだから、当夜は赤坂の老舗に個室を予約したのだが、中村さんは鰻には箸をまったくつけなかった。文字通り、ひとくちも召し上がらなかったのである。

だいぶ後になって、川魚のたぐいはいっさいダメだということを知ったが、それならそうと、ひとこと言ってくれればいいのに、と思ったものだ。お店の名前を聞けば、「うなぎ」だということは分かっていたはずなのである。

だが、それならそうと、ひとことも言わない。そんなシャイな人でもあった。見てくれがいかつくて口数も少ないものだから、ちょっと想像がつかないのだが。

中村さんが社長に昇格してからも、3人の会食は何度かあった。ある日、奥さんをなくした中村さんを慰めてやろうと、某財界人から声がかかった折に、こんな愚痴をこぼしたことがある。

「次男(だったと思う。記憶違いかもしれないが)がね、クルマで1時間もかからんところに住んでおるのに、いっかな寄り付かんのですわ」

男やもめの暮らしの中では、当初はいろいろ困ったこともあったようだ。

「ひとりでドーナツ屋に行ってね、お盆を持ってうろうろしていたら、背中から”社長じゃないですか?”と声をかけられたんですわ。もうビックリして、その場にお盆を落っことして後ろも振り返らず逃げましたわ」

どうです? こんないい話、ちょっとないでしょう。天下の松下の社長が、と想像すると、まことに微笑ましい(笑)

ひとりでドーナツ屋に行くくらい、中村さんは甘いものには目がなかった。見たところ、ダイエットが必要な体格ではまったくないのだが(むしろ、もう少し肥ったほうがいいようにも思えたのだが)、ご本人は体重を気にしていて、日頃から好物のスイーツを節制していたのだそうな。

「反動が出るんですかねぇ、会食が終わったあとに我慢できなくなって、壊れたようにケーキとかお菓子とか5個も10個も食べちゃうことがあって。元の木阿弥ですわ」

シャイなところはあったが、経営者として割り切るところは割り切り、改革すべきは容赦なく改革した。パナソニックへの社名変更はその象徴とも言えよう。

もっとも、中村さんには「松下幸之助の落し胤」説もあり、だからこそ「脱・松下」を決断できたとの見方も一部にはある。ま、与太話なんでしょうけどね。

ご本人は「”脱・松下”というのは、マスコミが勝手につけたものであって、僕はそんなことを言ったことは一度もない。幸之助の経営哲学を、時代に合わせて変えていき、さらに発展させていく」のだと強調していた。

「松下という大企業を、自分の手のひらの上で動かす。そこに、経営者としての醍醐味がある」

強力なリーダーシップの下で事業の選択と集中を進め、プラズマテレビ事業に経営資源を注ぎ込んだ。結果として、これが過剰投資となり、中村さんが社長を退いた後に松下は未曾有の経営危機に陥ることになる。

結果だけを見れば、「名経営者」とは言い切れないのかもしれないが、それでも中村さんは筆者にとって忘れがたい経営者のひとりである。

「手紙とか部下へのメモとかは、必ず夜に書いて朝起きたら一度読み直すんですわ」とおっしゃっていたが、けだし金言だと思う。

週刊誌の記事は締切があるからそういうわけにもいかなくて、脱稿したその瞬間から「あそこはこうすればよかった」という反省が思い浮かぶ。すぐ思い浮かぶくらいなら最初からそう書けばいいのに、なかなか上手くいかない。

夜に書いて朝まで寝かせることで、より以上の文章に手直しできるのは間違いないところである。このメルマガも、中村さんのあれこれを思い出しつつ、明日起きたら一度読み直してみることにしよう。

あの世とやらがあるのなら、もう甘いものを我慢する必要もあるまい。時間を気にすることなく、唯一の楽しみだった読書に没頭することもできよう。どうか、安らかに。合掌。