第63回 「パワハラ」に「ハラハラ」させられる世の中について考えさせられた話

最近、このコラムの締切時になると、なぜか旧知の経営者が亡くなるので、「追悼記事」めいたことを書くことが増えてきた。

今年も元日から、そうした訃報に接し、亡くなった経営者が「ヅラ」で有名な方だったので、財界人の「ハゲ」にまつわる秘話でも暴露しようかなと考えていた。

「正月」と「ハゲ」。何の関係もないけれど、何となくおめでたいイメージもある。ありませんか?

などという話を、知り合いとしていたら、「そういうのは、ハゲている人たちからすると、”ハラスメント”になるんじゃないの」と指摘された。

そういうわけで、今回は「ハラスメント」について思うところを記したい。

そもそものきっかけは、昨年の自衛隊におけるハラスメント報道である。元陸上自衛官の女性が、実名でセクハラ被害を訴えたことにより、被害実態を調べるための特別防衛監察(全隊員が対象である!)が始まり、大騒ぎになった。

自衛隊と警察は、これも何となくのイメージでしかないのだが、ハラスメントが横行していて不思議はないような実感がある。組織の成り立ちからして、被害に遭った方々も声を上げにくいだろう。

で、何となく連想したのが、野村証券である。

かつて「ノルマ証券」の異名を取ったノムラでは、稼いだ手数料がすなわち「人格」だった。営業現場では、ノルマを達成できない社員は叱られ、罵られ、容赦なく人格を否定された。

10年ほど前、野村の新入社員(ということは、彼ももう30代前半だ。達者でやっているのだろうか)から聞いた話によれば、「だからこそ、鍛えられるんですよ。将来起業を志しているような学生にとって、その意味で野村は人気がある」

ノルマ至上主義については、「先輩の昔話ほどではないけれど、それでも支店長が(目標未達の部下に対して)投げつけたボールペンが額に突き刺さって出血した現場を目撃したことがある」というから相当なものだ。

繰り返すが、これがたかだか10年前の実話である。この社員が言うように、その昔はもっと凄まじかったわけだが、本題からは外れるので、ひとまず措こう。

今は、どうなっているのか。

気になったので、野村のおえらいさんと酒を呑んだときに訊いてみた。「今、世間で言われてるようなパワハラが”パワハラ”なら、野村の営業なんてみんなパワハラになっちゃいますよね」

ニコリともせずに、「うん。だから、(営業現場は)崩壊しているよ」という答えが返ってきて、さもありなんと膝を打ったものだ。

死んじまえ、辞めちまえなどは、「こんにちわ」程度のフレーズでしかなかったのだが、今となっては直ちにアウトである。うかつにまともに叱ることすらできない。

で、次に何となく連想したのが、週刊誌の編集部である。

締切に追われながら、記事の手直しを繰り返すため、デスクと記者のやり取りは常に殺伐としている。よしよしなあなあでやっていては、雑誌が出来上がらない。

我が身を振り返って、パワハラをやったという自覚はないが(自覚がないからパワハラになるので、こんなことを言っても意味はないが)、受け止める側からするとパワハラに他ならない。ということは、あっただろう。

パワハラの該当条件について少しばかり調べてみたところ、「過大な要求」という項目が見つかった。部下にとって「過大な要求」と受け止められる言動は「パワハラ」なのだそうだ。

となると、「あっただろう」ではなくて、「間違いなくあった」と認めるしかない。

たとえば、週に平均して2ページの記事を書いている記者がいたとする。その記者の能力からして、3ページは書ける。とデスクが判断したとする。

目標管理の面談では、「3ページ書いてみないか」とデスクは言う。それが「過大な要求」であると記者が感じたのなら、「パワハラ」になってしまうのだ。

今、週刊誌の編集部がどういうことになっているのか、まったく与り知らないけれど、「パワハラ」と騒ぎ立てる記者が少なくないだろうことは、想像に難くない。筆者などは、真っ先に指弾されていた口だろう。

コンプライアンスには法令・就業規則といった「物差し」があるけれど、ハラスメントにはそれがない。ハラスメントされた側の言い分がそのまま通ってしまう。

この先も会社勤めをすることはないだろうから、まァ、個人的にはどうでもいいと言えばいいのであるが、これで世の中は望ましい方向にむかっているのだろうか。

「ハラスメント 種類」で検索したところ、「ハラスメントの定義とは?全39種類の○○ハラスメント一覧」という記事があって、ザッと読んでいるだけで頭痛がしてきた。

「ハラハラ」(ハラスメント・ハラスメント)というのもあるそうな。

他人の言動に対して抱く不快感について過剰・過大に「ハラスメント」だと主張する、その行為自体が「ハラスメント」に当たるのだという。

ハラスメントは、あってはならないし、認めるつもりも毛頭ない。それでも、何でもかんでもハラスメントの世の中は気持ちが悪い。

新年そうそう、このコラムを読んで不快に感じた読者諸氏には心からお詫びを申し上げます。

「コラハラ」(コラムによるハラスメント)などと責め立てられると立つ瀬がありません。